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中原中也を歌う(曲と歌:桜木うさこさん)

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2018年11月13日 (火)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足2・橋本一明の読み・その1

 

 

金子光晴の「現代詩の鑑賞」を読んでみれば

ベルレーヌが日本の現代詩に

どれほどの影響を与えたかを

だいたいはつかんだように思えてきます。

 

とはいえそれは

金子光晴という

一個の強烈な個性がとらえたベルレーヌですから

それで全容だということにはならないのは

いうまでもないことですが。

 

 

野村喜和夫の「ヴェルレーヌ詩集」(思潮社)には

戦後のベルレーヌ翻訳者として

学者、橋本一明を登場させていますが

金子光晴とは異なったベルレーヌがとらえられてあり

この詩集の中では

現在に最も近くにつながる読み手ですから

飛ばすことはできません。

 

橋本一明訳編になる角川文庫の「ヴェルレーヌ詩集」は

文庫本で、鈴木信太郎訳編、堀口大学訳編と並びますが

極めて手に入りにくい状態で

昭和41年(1966年)発行で定価120円が現在、

Amazonの古書で9900円

「日本の古本屋」で2000円、3000円

図書館にも置いていないところがあるほどです。

 

同じ角川から出ている「世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集」(1967年)は

文庫版とほぼ同一内容で

こちらは比較的に入手しやすく

橋本一明の翻訳やベルレーヌ研究を

一般の読者が読むことができる数少ない接点です。

 

 

中原中也の詩の流れに

ベルレーヌの足跡がどのように刻まれているか。

 

中原中也はベルレーヌをどのように翻訳したか

どのように読んだかをたどっているうちに

いつしかそれは日本の現代詩のベルレーヌ受容の歴史をたどることになり

フランス・サンボリズム全体の流れをたどることになり

金子光晴のまなざしを介してそれを見てきたのですが

ここで橋本一明のベルレーヌ読みを

少しみておくことにしましょう。

 

橋本一明のベルレーヌが

ランボー読み(研究)と絡まり平行しながら

進められていることは特徴の一つですが

もう一つは

晩年のベルレーヌへの眼差しに

堀口大学や鈴木信太郎とは違った角度があることでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年11月 1日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その11

 

 

メーテル・リンクと西条八十を案内し終えて

そろそろ象徴派を切り上げようとした金子光晴が

重要なサンボリストとして一言だけ触れておきたいとして

挙げるのが

 

ジャン・モレアス

フランシス・ジャム

ポオル・クローデル

ステファン・マラルメ

ポオル・ヴァレリー

――の5人です。

 

これら5人はともに

名声が盛んだった割には

日本人の間に浸潤することがなかったために

追随者を持たなかったことが指摘されます。

 

 

ジャン・モレアスはギリシア人で

感傷的な月光派ではないものの

詠嘆的なニヒリスティックなものの考えかたが

サンボリストに共通しているということで

代表的な詩集「章句(スタンス)」から紹介。

(ここでは省略。)

 

フランシス・ジャムは

ピレネーの山間に住みつづけ

都会の陋巷に酒と女に沈湎し彷徨していた月光派とは遠く

そのゆえにずっと神のそばを去らないで済んだ詩人として

次の作品を読みます。

 

 

私は驢馬がすきだ

 

私は、柊の籬にそつて歩いてゆく

いかにもやさしい驢馬がすきだ。

 

蜜蜂に気をとられては

耳をうごかし、

 

あるひは貧しい人達をのせ、

あるひは燕麦で一杯の嚢を運ぶ。

 

溝のそばにさしかかると

よちよちした足取りで歩いてゆく。

 

恋人は、驢馬を馬鹿だと思つてゐる。

何しろ驢馬は詩人だから。

 

いつも考へ込んで

その眼は天鵞絨(びろうど)。

 

心やさしいわたしの少女よ

お前には驢馬ほどのやさしさがない。

 

何しろ驢馬は主のおん前にゐるのだもの、

真青な空をうつしたやさしい心の驢馬なのだ。

 

疲れはて、いかにも哀れな様子をして

驢馬は小舎のなかにゐる。

 

その小さな四本の足を

思ひきり疲れさせてしまつたのだ。

 

朝から晩まで

驢馬は自分の務をはたした。

 

ところで少女よ、お前は一体何をした?

なるほど、お前はお針をしたつけ……

 

ところで驢馬は怪我をした。

蠅の“やつ”めに刺されたのだ。

 

随分働く驢馬をおもふと、

思はず“ほろり”とさせられる。

 

少女よ、お前は何を食べた?

――お前は桜実を食べたつけな。

 

驢馬は、燕麦をもらへなかつた。

何しろ主人は貧しいので。

 

驢馬は綱をしやぶつて、

かげへ行つて寝てしまつた……

 

お前の心の綱には

この綱だけの甘さがない。

 

柊の籬にそつて歩いてゆく

これはやさしい驢馬なのだ。

 

わたしの心は“なやましい”、

かうした言葉を、おそらくお前は好きだらう。

 

可愛い少女よ、言つておくれ、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか?

 

年寄りの驢馬のところへ行つて

どうかかう言つてもらひたい。

 

私の心も驢馬のやうに

朝、路のうへを歩くのだ、と。

 

可愛い少女よ、驢馬にお聞き、

一体私は、泣いてゐるのか笑つてゐるのか。

 

おそらく返事はしないだらう。

驢馬は暗いかげのなかを、

 

やさしさで心を一杯にしながら

花咲く路を歩いて行くにちがひない。

 

             (山内義雄訳)

 

(一部にルビを振りました。原作の傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

なんとやさしいこころの驢馬だろう!

――と感嘆したくなる、

このような愛の心をカトリシズムというのでしょうか。

 

金子光晴は

カトリック的な素朴なヒューマニズムが、所謂「アベの詩人達」、デュアメルや、ギルドラック

や、マルチネのような連中によって、第一次大戦の苦さのあとでフランス詩界によみがえら

されたとき、ジャムは、巨人となった。

――とこの詩人を案内します。

 

同じ、知的なカトリック詩人、ポール・クローデルについても

駐日大使として日本に滞在し

日本の文人たちと交友がありながら

日本人が影響を受けることが少なかったのは

日本人にカトリシズムが理解しにくいことのうえに

日本の詩壇がまだ貧しすぎて

クローデルの文学を受け入れる態勢になかったなどの原因を述べます。

 

 

難解であり、翻訳に成功したものが少ないと

紹介されるのがステファン・マラルメ。

 

「現代詩の鑑賞」のうちの「象徴派を鑑賞しながら」は

ベルレーヌを筆頭に取り上げたのですが

月光派への流れを辿るのに重心が置かれたために

ベルレーヌと並び称されるマラルメは後回しにされていました。

 

フランスのサンボリストの詩を鑑賞するということで

ここで初めてマラルメをフォローすることになりました。

 

 

海の微風

 

肉体は悲し、ああ、われは、全ての書を読みぬ。

遁れむ、彼処に遁れむ。未知の泡沫と天空の

央(さなか)にありて 群鳥の酔ひ癡れたるを、われは知る。

この心 滄溟深く涵されて 引停むべき縁由(よすが)なし、

眼(まなこ)に影を宿したる 青苔古りし庭園も、

おお夜よ 素白の衛守固くして 虚しき紙を

照らす わが洋燈の荒涼たる輝きも、

はた、幼児に添乳する うら若き妻も。

船出せむ。桅檣(ほばしら)帆桁を揺がす巨船、

異邦の天地の旅に 錨を揚げよ。

“倦怠”は、残酷なる希望によつて懊悩し、

なほしかも 振る領布(ひれ)の最後の別離を深く信ず。

かくて、恐らく、桅檣は 暴風雨(あらし)を招んで、

颱(はやて)は 忽ち 桅檣を難破の人の上に傾け、藻屑と

消えて、帆桁なく、桅檣なく、豊沃なる小島もなく

……

さはれさはれ、おお わが心、聞け 水夫の歌を。

 

(※この翻訳はだれのものか明記されていません。編者。)

 

 

マラルメのような詩には、むずかしい意味がつきやすい

それが解説の困難をまずは物語っている

丁度、テーマのある純粋音楽みたいなもので

わかりやすく言えば

言葉と言葉の相関作用から心が直接発見するものがあるだけ。

 

アレゴリー的な意味などないのだ。

 

言いかえれば、この言葉の最初から最後までのつながりが思想の全部で、他に抽出する

ものはなにもないのだ。

――とマラルメという詩人の詩の在り方にふれ

その接し方のコツをまずは喚起します。

 

そしてこの「海の微風」は

僕らの生の遠方からの涼しい微笑の誘い

――ととらえて

冒頭の「肉体は悲し」以下

中ごろの「船出せむ」以下の2節に分けて

詩人の読みを披瀝して見せてくれます。

 

ここは要約できないところですし

マラルメの詩の読解にめったにお目にかかれるものではないので

そのままを引きましょう。

 

 

「肉体は悲し」ということばは、すでに、肉体が亡びゆく仮の仮なるものである故に悲しいと

いう、ふるい観念によって説明することも不用なのだ。肉体の悲しさはもっと直接で、本然

的な悲哀である。すべての書を読んで疲れたからだを、いずくへか逃れゆこうとする要望。

疲れたからだなればこそふかぶかとみえる天空、白雲の泡立っている海空のもっともふか

い淀は、陶酔のふかみで、海鳥が酔い惚けて、みだれおちてくる。そのわだつみのふかみ

に心がひかれて、止むるすべもない。青空のもとの庭園も、ひとり夜、机にむかって、白紙

を照らしている洋燈の光、落つきを失った心になにかあらけたその輝きも、女や子供への

愛着も、じぶんのこの逃遁ののぞみをひきとめることができない。

 

 

「船出せむ」以下は

目の覚めるような鑑賞です。

 

 

「船出せむ」というのは、やはり、実際にふなでするというよりも、船出のよろこびの幻影に

ふけって、どんなことになっても、もうそんなことをかまって、右顧左眄している気持にはな

れない。すでに、目的や、計算はない。たゞ、一切の環境をすてて、少くとも今とは別な人

生にとびこみたい、という意で、こういう気持は、僕らがおよそじぶんの生涯の終りまで、こ

のまゝより仕方がないとわかったとき、あたかも、これまで生きてきたいっさいに抗議して、

目の前に立ちはだかり対立してくる考えだ。

 

この説明しがたい、名づけがたい実感を、「海の微風」のいざないによって表現したので、

およそ、サンボリズムの詩の内容は、こうした人生の説明しがたい実感に、直接的なかた

ちをを与えたものである。

 

 

最後のヴァレリーについては

菱山修三訳の「若きパルク」の一部を引きますが

詩の読解は行われず

フランス・サンボリズムの現在(1954年当時の)の締めくくりに替えます。

 

ランボー、マラルメから出発したフランス・サンボリズムに

ヴァレリーの透明な頭脳は最後の方法を与えた

――とヴァレリーを位置づけ

 

これこそ、ブルジョア芸術のデカダンと衰弱の極限が

最後にえがいた智的な幻影の設計であるとも言える。

 

ここからは、転身があるだけで、

発展ののぞみはえられないのである。

――と頂点に到達した詩の

行きどころのなさ(最後)に触れて

象徴派の詩の鑑賞記を閉じます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

2018年10月29日 (月)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その10

 

 

ここまで読んで来ては

ベルレーヌはどこへ行ったやら。

 

血となり

肉となって

後続する詩人たちのなかに

脈々と流れているというしかないほどに

ベルレーヌはサンボリズムに生き続けています。

 

こうなったら

毒を食らわば皿まで!?

(※徹底するという意味です。)

「現代詩の鑑賞」を読み切ってしまいましょう。

 

 

昭和初期の中原中也まで足を伸ばした詩人は

忘れ物でも思い出したかのように

ベルギーが生んだ神秘主義者、メーテルリンクへ目を向けます。

 

ファン・エイク

メムリンク

――のような宗教画家

ボッシュ

ブルーゲル・ビュウ

――のような妖怪画家を生み

世界に誇る2人の詩人、

メーテルリンク

エミール・ヴェルハーラン

――をベルギーという国は輩出しました。

 

 

メーテルリンクは

「青い鳥」の劇でおなじみですが

詩集は「温室」1冊があるだけです。

 

フランス語で書かれた詩集ということもあって

金子光晴に親近したのでしょう。

 

ここではメーテルリンクが

月光派でありフランス・サンボリズムの流れに属するという特徴が

まず指摘されます。

 

 

温室

       マーテルリンク

 

森のなかなる温室よ!

永久に閉せるきみが戸よ!

そが円屋根の下にあるもの!

かくてわが心のうちにも、君とおなじきものこそあれ!

 

饑餓にくるしむ王女の思ひ、

沙漠のなかの水夫の愁ひ、

不治の病にくるしむものの、窓べに聞ゆる楽隊のひびき。

 

いと温かき隅に行け!

収穫の日に気を喪ひし女とこそはいふべけれ。

病院の庭に駅伝の馭者きたり

鹿狩る猟夫、いまは看護夫に身を成して、かなたはるかに横ぎりゆく。

月の光にながめみよ!

(ものみなは、所をかへぬ!)

審判の場に来て立てる、狂ひし女か。

帆を張りなせる戦艦、運河のうへに浮びいで、

百合にはみゆる夜の鳥

正午にひびく葬り鐘。

(かしこ鐘々のした!)

野のなかに病者の舎営。

晴れし日にエーテルの匂ひ。

 

ああ、いつの日にか雨あらん

また雪あらん、風あらん、この温室のうち。

                  (山内義雄訳)

 

 

サンボリズムの詩人の特質の一つは、生に対する倦怠感である。

――とこの詩人のスタンスを述べながら

この詩を

汗ばむ、だるい温室のなかの、停滞してうごきのない倦怠感の苦しさを、類似の感覚だけ

をあつめてきて、サンボライズしたもの

――などと読み解きます。

 

そしてやや唐突にも

メーテルリンクが影響を与えた

日本詩人、西条八十にスポットを当てます。

 

西条八十は

こんな長い詩も書いていました。

 

 

石階

          西条八十

 

暗い海は

無花果の葉陰に鳴る、

蒼白めた夜は

無限の石階をさしのぞく。

 

一の寡婦は盲ひ

二の寡婦は悲み

三の寡婦は黄金の洋燈を持つ、

彼等ひとしく静かに歩む

彼等ひとしく石階を登る。

 

 海底の宝玉は

 深夜に歌ひ、

 

 ―妾は夜の波を聴く

 ―妾は亜麻色の海を見る

 ―妾は海鳥の叫びに驚く

 

  病める薔薇は

  紅き花片を落す。

 

―絶頂に到らば市府の灯は蕃紅花の如く

―絶頂に到らば市府の雨は真珠の如く

―絶頂に到らば市府の空は血の如きを見む

 

軽雲は

燐光の如く

海上を駛(はし)り、

 

一の寡婦は微笑み

二の寡婦は掌を合せ

三の寡婦は黄金の洋燈を擡(もた)ぐ、

彼等ひとしく静かに歩む

彼等ひとしく石階を急ぐ。

 

  夜霧は

  五月の花の如く

  檣頭に破れる。

 

 ―妾は未だ何者をも見ず

 ―妾は未だ何事をも聴かず

 ―妾は漸く総てに疲れたり

 

  土蛍は

  寂しく彼等の肩に

  とまり、

 

 ―登れども、登れども、市府の灯を見ず、

 ―登れども、登れども、空は血に染まず、

 

   菌は

   石階に古き日の唄を

   うたふ。

 

一の寡婦は眠り

二の寡婦は涙し

三の寡婦は黄金の洋燈を消す、

彼等ひとしく静かに歩む

彼等ひとしく石階を下る。

 

蒼白めた夜は

無限の石階をさしのぞく、

暗い海は

無花果の葉陰に鳴る。

 

 

西条八十は

この詩にどのような意図を

込めたのでしょうか。

 

見慣れぬ情景に戸惑いますが

金子光晴の読みに助けられて

この詩の世界にようやく少し近づくことができるでしょう。

 

 

この詩は、なんという具体的な生活の背景もなく、まとまった思想のうらうちもないけれど、

よんでいるうちにふしぎな雰囲気(もや)につゝまれ、なにもしない前から、世代の疲れのよ

うなものを、いやいやでも受取らされる。そして生と死の薄明にまで、つれてゆかれる。ト

リックといえばトリックだが、そこで、死の世界と無言の問答をとりかわす、神秘な巫女たち

のゼスチュアにであって、魔術にまきこまれる。

 

 

以上のように読んで

これは、そっくり、メーテルリンクの無言劇の舞台だ。

――と案内するのです。

 

具体的な生活の背景がない

まとまった思想のうらうちもない

ふしぎな雰囲気(もや)

生と死の薄明

トリック

神秘

巫女(みこ)

魔術

――といった語が鍵になります。

 

 

石階は

いしだん、いしきだ、いしばし、いしばしご、きざはし、きだはし、せきかい、せっかい

――などという読み方が知られています。

 

この詩は、付け加えるならば

「唄を忘れた金糸雀(かなりや)は……」で有名な

「かなりや」が収められた第1詩集「砂金」にあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年10月27日 (土)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その9

 

 

 

富永太郎は、小林秀雄や河上徹太郎というような仲間をもっていた。この流れをひいた作

家に、ヱ゛ルレエヌとラフォルグの月光を浴びた中原中也がある。

 

(「金子光晴全集」第10巻「現代詩の鑑賞」より。以下同。)

 

 

金子光晴は

中原中也をこのように紹介し

「サーカス」

「正午 丸ビル風景」

――の2作を呼び出します。

 

 

サーカス

      中原中也

 

幾時代かがありまして

  茶色い戦争ありました

 

幾時代かがありまして

  冬は疾風吹きました

 

幾時代かがありまして

  今夜此処での一と殷盛(さか)り

    今夜此処での一と殷盛り

 

サーカス小屋は高い梁

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ

 

頭倒さに手を垂れて

  汚れ木綿の屋蓋のもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

それの近くの白い灯が

   安値いリボンと息を吐き

 

観客様はみな鰯

  咽喉が鳴ります牡蠣殻と

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

       屋外は真ッ闇 闇の闇

       夜は劫々と更けまする

       落下傘奴のノスタルジアと

       ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

 

 

正 午

       丸ビル風景

 

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ツ黒い、小ツちやな小ツちやな出入口

空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つている

ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……

なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ツ黒い、小ツちやな小ツちやな出入口

空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

(同。)

 

 

金子光晴がまず言うのは

この2篇の詩が

1、(ベルレーヌというよりは)ラフォルグを思わせ

2、「海潮音」(の影響)がどこかにあり

3、白秋小唄ものぞいている

――ということですが

それらがすっかり中也のものになっているというところです。

 

中也のものであるから救われているというところです。

 

そして、

 

詩人としては月光派で

その特質、人みしりするさびしがりやで、

実生活の欲望がつよいのに

渡りかたは下手という悲劇的な矛盾をもって生まれてきた

――とテキストを離れた人物像が述べられます。

 

交流を持たなかったにしては断言的に

中原中也のネガティブなイメージが言及されます。

 

さらには、

 

詩人というのはすこし変だ、という見本のような男だったらしい。

――と風聞か文学仲間の噂か

中也の武勇伝は知る人ぞ知るだったのですから

多少オーバーに言われても仕方ないことですが

「らしい」と推量語を加えているところは

金子光晴の経験主義を露わにしたということでしょうか。

 

中原中也が月光派の流れに置かれ

ランボーにも触れられることなく

ラフォルグを見るところに

金子光晴という詩人の鋭さ(個性)はあるということかもしれません。

 

月下の群の流れを追っていくと

昭和初期の作家である中原中也や

三好達治、立原道造ら

「四季」派までたどることができるということで

この部分を書き進めたと金子光晴は断っているのですから

高い評価の現われと受け止めればよいのでしょうか。

 

 

中原中也は

「四季」派につながりがあるらしいと

同じように推量しながら

 

「四季」が出たのは僕が丁度ヨーロッパに行っている留守の出来事なので、詳しいことを説

明することができない。

――と限定していることも考慮しましょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

2018年10月25日 (木)

中原中也・詩の宝島/ベルレーヌの足跡(あしあと)/補足1・金子光晴その8

 

 

福士はもともと、「白樺」流のトルストイアンで、人間賛美主義の荒っぽい思想をおし通して

いたが、三富らの影響で、反省に入り、彼らしい人間味ゆたかな丹念な観照で、月下の詩

人達にふれていった。そして、高村、室生らの所謂自由詩に反対の立場を示すようになっ

た。

――と福士幸次郎は紹介され

「新しいダンディズム出現」の章ははじまります。

 

 

自分は太陽の子である

          福士幸次郎

 

自分は太陽の子である

未だ燃えるだけ燃えたことのない太陽の子である

 

今口火をつけられてゐる

そろそろ煤りかけてゐる

 

ああこの煤りが焔になる

自分はまつぴるまのあかるい幻想にせめられて止まないのだ

 

明るい白光の原つぱである

ひかり充ちた都会のまんなかである

嶺にはづかしそうに純白な雲が輝く山脈である

 

自分はこの幻想にせめられて

今煤りつつあるのだ

黒いむせぼつたい重い烟りを吐きつつあるのだ

 

ああひかりある世界よ

ひかりある空中よ

 

ああひかりある人間よ

総身眼のごとき人よ

怜悧で健康で力あふるる人よ

 

自分は暗い水ぼつたいじめじめした所から産声をあげたけれども

自分は太陽の子である

燃えることを憧れてやまない太陽の子である

 

(「金子光晴全集」第10巻「現代詩の鑑賞」より。以下同。)

 

 

こうした人間性解放の思想は、「白樺」派の副産物で、当時の青年が一度は通過した思想

課程なのである。

――とこの詩を位置づけた詩人の次の評言には

歯に衣を着せないストレートさがあります。

 

 

高村の詩、千家の詩、乃至は、佐藤惣之助、百田宗治など、多くの青年詩人は、殆ど無反

省に、じぶんの若い血をいたずらにかきさわがせるために、こうした奔馬の背にじぶんをく

くりつけた。マゼッパさながらに。

 

 

白樺派が勢いをもった時代の

詩の形の一つの例だったのでしょう。

 

マゼッパも

フランス詩に魅入られて後は

ダンディな詩を書くようになったといいます。

 

 

扇を持つみなしごの娘

 

扇の中にみなしごは、

白い虚な眼を閉じる。

病気上りの気のやみに、

まぶしく照らす赤い夕日、

風にふらふらうごく雛罌粟、

心覚えの両親が心の何処かにあるやうに、

所々にきらきらと清水が涌く。

 

ああパウルのやうに厳くて、ペテロのやうにやさしい院長さん、

私が此方へ初めて来た日には、

ああお天日様目掛けて飛んでゆく鳥みたいでした。

そのくせ夜になると魘(うな)されたり、

泣き出したり、

知らぬ他国の夢を見て、

暗い廊下におびえて居たり……

 

 

「自分は太陽の子である」にくらべれば

これがダンディと金子光晴が認めるものでした。

 

福士幸次郎は

金子光晴が主宰していた「楽園」に属していましたし

その周辺には

林髞

佐藤一英

平野威馬雄

サチウ・ハチロー

永瀬三吾

国木田虎雄

――らがいて活躍中だったというのですから

もはや遠い日のことになりました。

 

その外には吉田一穂もいました。

 

 

早稲田派、三富朽葉を中心とする

フランス・サンボリズムの流れとは異なる流れが

10、15年のちに現われる

富永太郎の流れです。

 

富永太郎ということになり

案内されるのはアルチュール・ランボーの翻訳です。

 

 

饑餓の饗宴 

      ランボー

 

俺の饑よ、アヌ、アヌ、

驢馬に乗つて、逃げろ。

 

俺に食気が あるとしたら、

食ひたいものは、土と石。

ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、ヂヌ、空気を食はう、

岩を、火を、鉄を。

 

俺の饑よ、廻れ、走れ。

音の平原!

旋花のはしやいだ

  毒を吸へ。

 

貧者の砕いた 礫を啖へ、

教会堂の 古びた石を、

洪水の子なる 磧の石を、

くすんだ谷に 臥てゐる麺麭を。

 

俺の饑は、黒い空気のどんづまり、

鳴り響く蒼空!

――俺を牽くのは 胃の腑ばかり、

それが不幸だ。

 

地の上に 葉が現はれた。

饐えた果実の 肉へ行かう。

畝の胸で 俺が摘むのは、

野萵苣(のぢしゃ)に菫。

 

俺の饑よ、アヌ、アヌ、

驢馬に乗つて、逃げろ。

 

           (富永太郎訳)

 

 

次に紹介されるのは

富永太郎の自作詩2作のうちの「橋の上の自画像」。

 

 

橋の上の自画像 

       富永太郎

 

今宵私のパイプは橋の上で

狂暴に煙を上昇させる。

 

今宵あれらの水びたしの荷足は

すべて昇天しなければならぬ、

頬被りした船頭たちを載せて。

 

電車らは花車の亡霊のやうに

音もなく夜の中に拡散し遂げる。

(靴穿きで木橋を踏む淋しさ)

私は明滅する「仁丹」の広告塔を憎む。

またすべての詞華集とカルピスソーダ水とを嫌ふ。

 

哀れな欲望過多症患者が

人類撲滅の大志を抱いて

最期を遂げるに間近い夜だ。

 

蛾よ、蛾よ、

ガードの鉄柱にとまって、震へて

夥しく産卵して死ぬべし、死ぬべし。

咲き出でた交番の赤ランプは

おまへの看護には過ぎたるものだ。

 

 

もう1作の「癲狂院外景」――。

 

 

癲狂院外景

        富永太郎

 

夕暮の癲狂院は寂寞(ひっそり)として

苔ばんだ石塀を囲らしてゐます。

中には誰も生きてはゐないのかもしれません。

 

看護人の白服が一つ

暗い玄関に吸ひ込まれました。

 

むかうの丘の櫟林の上に

赤い月が義理で上りました

(ごくありきたりの仕掛けです)。

 

青い肩掛のお嬢さんが一人

坂を上つて来ます。

ほの白いあごを襟にうづめて、

唇の片端が思ひ出し笑ひに捩ぢれてゐます。

 

――お嬢さん、行きずりのかたではありますが、

石女らしいあなたの眦を

崇めさせてはいただけませんか。

誇らしい石の台座からよほど以前にずり落ちた

わたしの魂が跪いてさう申します。

 

――さて、坂を下りてどこかへ行かうか……

やっぱり酒場か。

これも、何不足ないわたしの魂の申したことです。

 

 

上田敏、永井荷風にはじまる

フランス・サンボリズムの受容の歴史の中で

富永太郎を読んでみると

かなり現代に近い詩であることが際立ちます。

 

現代的(モダン)と言ってしまえば

簡単にすぎますが

富永太郎のこれらの詩を

三富朽葉を10年さがった時代の詩と

金子光晴は位置づけています。

 

 

金子光晴はこの二つの詩を読んで

 

どこかラフォルグの軽さもあり、また、ボオドレエルの濃い血汁もかよっている。ランボオの

冒険もある。

 

そして、血になりかた、肉になりかたが、おなじサンボリズムであっても、白秋露風時代とど

んなにちがうか。

――とコメントします。

 

つづけて

これは詩の年齢ばかりでなく、大正から昭和にうつってゆく自意識の発達の歴史を物語っ

てもいるようだ。

 

そして、大正中期の詩人たちの、どこかとりすました傑作主義から、自己の内的苦悶の表

現を中心とした詩作の道すじのけわしさに於て、朽葉からの横のつながりを感じさせるも

のだ。

――と大正末そして昭和初期の詩人である富永太郎を

あざやかに浮き彫りにします。

 

 

現代詩は

こうして中原中也にたどりつきます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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