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2017年10月21日 (土)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<29>「純粋詩」の中桐雅夫「幹の姿勢」

 

中桐雅夫が発行していた詩誌「LUNA」に

鮎川信夫が入ったのは

1937年夏のことで

「新領土」に入ったのは1938年のはじめだった

――というようなことを鮎川信夫が記述しています。

 

(現代詩文庫38「中桐雅夫詩集」解説「中桐雅夫について」。)

 

中桐雅夫は神戸高商在学中で

鮎川信夫は早稲田第1高等学院に在学中で

「新領土」への参加が

LUNA」への参加より後のことでした。 

 

鮎川信夫はこの頃「荒地」の刊行を準備していましたから

これら詩誌への関わりは

複雑に引っ張り合い反発しあっていたのかもしれませんが

LUNA」への加入は「一生の一大事」であったと

後に鮎川が振り返る意味を看過できません。 

 

LUNAクラブ」が

「荒地」の母胎といわれる由来が

ここにあります。

 

 

戦時色が

 

刻々濃くなっていく時代でした。 

 

詩人たちは

 

そして

 

戦争に動員されてゆきます。 

 

 

 

戦後になって

 

福田律郎や秋谷豊が発行した「純粋詩」へ

「荒地」の詩人たちは続々と作品を発表します。 

 

中桐雅夫が「純粋詩」に発表した詩を

 

読んでみましょう。 

 

 

 

幹の姿勢 

 

風を追いかけ。風を追い越し。

 

ある地点に。ぴたり。ととまる。

 

とまる否や。

 

猛烈な速度で戻ってくる。

 

見よ。無数の獣。

 

火の獣が駆けめぐる。

 

焔。喘ぐ焔。

 

夜空に。高き。低き。焔みな一つに固まり。

 

激しく。空気をつん裂く。と思えば。

ふたたび八方に飛び散り。

あたらしい血に舌なめずる。神々の嵐。

 

その無際限な成長力。

 

無秩序ないのちの奔騰。

 

わたしは堪えかねて。

 

眼を瞑り。

 

眼をひらいた。

 

ひとつひとつに名の刻まれた。

 

わたしの書物。わたしの食器……。

 

すべてのものは「世界」の中へ投込まれ。

 

誰の手も届かぬところで。

 

一心に狂っている。

 

いまはもう。

 

わたしのものではないわたしのもの。

 

わたしのものではない「世界」のもの。

 

わたしは。いわば。

 

それらすべての怨霊を背景(ばっく)に。

 

佇んでいるのだ。この。

 

昧爽のひととき。

 

花も葉も焼け落ち。

 

くろく焦げ残っている幹の姿勢で。 

 

(現代詩文庫38「中桐雅夫詩集」より。) 

 

 

一読して

 

モダンというか

 

モダニスティックというか

 

実験の意欲が剥き出しになったようなこの作り(表記)に

 

どのような意味があるのか

 

ここで深く追求するつもりはありません。 

 

バイオリンのピッチカート奏法のような

 

(といっただけで、何かの意味を与えてしまいそうですが)

 

一語一語を区切って発語することが

 

確乎とした響きの効果をあげるのを

 

詩人は意図したのでしょうか。 

 

 

 

詩の終りに

 

昧爽(まいそう)とあるのは

 

「明け方のほの暗い時」という意味で

 

この詩が歌っている状況を理解するのに

 

知らないでいると

 

少し不利であるかもしれません。 

 

もちろん

 

全体が暗喩(あんゆ)でもありますから

 

描写のリアリズムにこだわることもないのですが

 

花も葉も焼け落ち

 

くろく焦げ残っている

 

幹の姿勢

 

――がいま立っているところの風景をつつんでいる

 

昧爽の時間であることを

 

読み過ごしてはまずいでしょうから。 

 

 

 

この昧爽の時間に

 

わたしの書物

 

わたしの食器

 

……

 

すべてのものは投込まれ

 

誰の手も届かぬところで

 

一心に狂っている

 

――「世界」がひろがっているのです。 

 

この風景が

 

戦後の焼け野原であることを

 

説明する必要はないでしょう。 

 

 

 

中桐雅夫がこの詩「幹の姿勢」を

 

「純粋詩」に発表したのは

 

1947年5月(第15号)でした。 

 

 

1919年生まれの中桐雅夫は

 

太平洋戦争がはじまった1941年12月8日の翌年1月末に

 

召集令状を受け取ります。 

 

2月に入営した後の検査で

 

結核菌が検出されたために

 

軍隊内で約40日の病院生活を送って除隊しました。 

 

除隊から敗戦へ。 

 

敗戦の荒涼のなかで

 

この詩は生れました。 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

2017年10月19日 (木)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<28>「純粋詩」の田村隆一「生きものに関する幻想」



田村隆一が「純粋詩」に発表した詩は

「紙上不眠」というタイトルの連作詩と考えてよさそうなので

もう一つの「生きものに関する幻想」も読んでおきましょう。



「出発」にも

「不在証明」にも

もう少し近づくことができるかもしれません。







生きものに関する幻想



それは噴水

周囲から風は落ちて 水の音だけひびいてくる……

それは夜のひととき

誰もゐない……

わたしと星との対話

わたしと星とのあひだには それでも生きものがゐて

 わたしを別のわたしにしたり 星を遠い時間に置きかへたりする生きものがゐて……

それは噴水 生きものは孤独

生きものは わたしと星のあひだにゐて やっぱり孤独



それは音楽

地階の部屋から扉をひらいて 誰かによりそってのぼってくる……

それは睡りのひととき

わたしだけしかゐない……

わたしと指との会話

わたしと指とのあひだには それでも生きものがゐて

 わたしをわたしに還したり 樹を雪のふる世界に誘ったりする生きものがゐて……

 それは音楽 生きものは孤独

生きものは わたしと指とのあひだにゐてやっぱり孤独



             紙上不眠・1946年2月

          (「純粋詩」昭和22年1月号)




(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)








2連構成で

その2連がきっかりしたパラレリズム(対句)で作られています。



1連に噴水のメタファー

2連に音楽のメタファー。



噴水のある夜の風景の中に

わたしと星が対話する1連。



音楽が地階から聞こえてくる睡りのひとときに

わたしと指が会話する2連。



わたしが対面しているどちらとの間にも

生きものが現れ

ひとりぼっちのわたしは

無限の愉悦であるような

無限の地獄であるような時を過ごしています。







この詩も「紙上不眠」を構成していて

共通しているものがあるとすれば

この詩が歌っているのも

「出発」や「不在証明」のように

わたしという存在そのものです。



ことさら

その孤独についてです。







この孤独は

「不在証明」に現われる「不眠の白紙」に通じているものでしょうか。



どうやら「紙上」は

「白紙」に通じ

白紙はブランクですから

詩を書くことの孤立無援に通じ

戦後の荒涼に立つ詩人の絶望や不安などの

イロニーでもあるようです。







詩人は折あるごとに

戦後の自作について記したり喋ったりしていますが

戦後初期の、

これら「純粋詩」発表より少し後の詩である

「腐刻画」の詩群について

次のように回想しています。







ぼくの戦後の詩は、「腐刻画」という散文詩からはじまった。ぼくが、「詩」を“書く”というは

げしい意識をもった最初の詩であった。



そして、その、はげしい意識が、散文詩のスタイルをとらざるをえなかったところに、ぼく

は、ぼく自身の「詩」にたいする一種の絶望を見る。「詩」にたいする“はにかみ”とも云って

いい。



ぼくにとって、詩は、感情の発露ではなくて、“なま”の感情を隠匿するところだ。


(「詩のノート」所収「秋」より。改行・行空きを加えてあります。原文のルビは“ ”で示しまし

た。編者。)







「腐刻画」という散文詩群についての回想ですから

「紙上不眠」の詩に当てはまるものではありませんが

まったく無縁の作品論ではないような部分があります。



文中の「詩」が

終わりの方になって「 」を外され

裸の詩と書き替えられたところに

その証を見ることができます。



詩人は

多かれ少なかれ

感情の発露を抑制するのが常ですが

田村隆一という詩人は

生(なま)の感情を隠匿(いんとく)すると述べています。



これは

「詩」についてではなく

詩についての発言です。







途中ですが

今回はここまで。

2017年10月18日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<27>「純粋詩」の田村隆一「不在証明」続

 

 



 

不在証明



 

風よ おまへは寒いか


閉ざされた時間の外で


生きものよ おまへは寒いか


わたしの存在のはづれで


 

谷間で鴉が死んだ


それだから それだから あんなに雪がふる


彼の死に重なる生のフィクション!

それだから それだから あんなに雪がふる


不眠の谷間に


不在の生の上に……

 


そのやうに風よ


そのやうに生きものよ


わたしの谷間では 誰がわたしに重なるか!


不眠の白紙に


不在の生の上に……

 

               紙上不眠・1946年11月

 

               「純粋詩」昭和22年1月号

 

(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)


 


 

「不在証明」第1連の


閉ざされた時間の外や


わたしの存在のはづれ


――とは、いったい、どのような時間(場所)でしょうか?

 

それは


詩を読まなければわからないことです。

 



 

次の連に進むと


谷間で鴉が死んだことが歌われ


だから、あんなに雪が降っているのだ、ということが断言されます。

 

谷間で鴉が死んだから


あんなに雪が降っている――。

 

そういう景色(現象)が


閉ざされた時間の外や


わたしの存在のはづれに見えたのでしょう。

 

そのようなところが


閉ざされた時間の外や


わたしの存在のはづれなのでしょう。

 



 

谷間の鴉が死んだから


雪が激しく降っているという


まるで原因と結果の摂理が作動しているかのような事態に


詩人が見たもの。

 

それは、


彼の死に重なる生のフィクション!


――でした。

 

この彼とは?

 



 

彼は

わたしではなく

鴉を指していることでしょう。

 

不眠の谷間に

雪は降りしきり

激しく躍動している。

 

不在の生(=死)の上に

雪が降る。

 

これは

 

鴉の死に重なる架空の物語(=フィクション)だ!

 


 

詩はここに至って
 

風よ
 

生きものよ
 

――とふたたび冒頭のように呼びかけます。

 

わたしの谷間では
 

誰がわたしに重なるか! と。

 



 

いったいわたしは
 

どこにいるでしょうか


生のフィクションとは
 

どのようなことでしょうか。

 



 

不眠の白紙に
 

――という謎のような詩行が現れて
 

この詩は閉じようとしますが
 

閉じる前に
 

不在の生の上に……
 

――という詩行が前連のルフランとして置かれます。

 

存在しない(=不在の)生の上。

 


 

それが死(の上)を意味するのなら

生は存在するでしょうか。

 

わたしは
 

不在の生の上に存在しないでしょうか。

 

存在するでしょうか。

 

そこにいない(不在)ことが
 

ここにいる(存在)ことを証明するでしょうか。

 

不在証明は
 

わたしの存在を証明するでしょうか?

 



 

途中ですが

 
今回はここまで。

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<26>「純粋詩」の田村隆一「不在証明」

 

「純粋詩」へ発表した田村隆一の詩を

もう少し読んでみましょう。

 

「純粋詩」には

「出発」のほかに

「紙上不眠」を構成する詩として

「生きものに関する幻想」と

「不在証明」の2篇とともに

「坂に関する詩と詩論」が発表された(「廃墟の詩学」)のですが

これら計4篇はすべて現代詩文庫1「田村隆一詩集」に載っています。

 

ここに詩人の愛着を見ないわけにはいきません。

 

「初期詩篇から」の章には

これら戦後の作品に加えて

戦前の「新領土」発表の詩が幾つか収録されていて

詩人が重要と見做した作品であることを物語っています。

 

 

不在証明

 

風よ おまへは寒いか

閉ざされた時間の外で

生きものよ おまへは寒いか

わたしの存在のはづれで

 

谷間で鴉が死んだ

それだから それだから あんなに雪がふる

彼の死に重なる生のフィクション!

 

それだから それだから あんなに雪がふる

不眠の谷間に

不在の生の上に……

 

そのやうに風よ

そのやうに生きものよ

わたしの谷間では 誰がわたしに重なるか!

不眠の白紙に

不在の生の上に……

 

紙上不眠・1946年11月

「純粋詩」昭和22年1月号

 

(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)

 

 

詩は、

ことさら初めて読む詩は、

ひと通り読み終えてのち

字面(こづら)を追ったに過ぎなくて

味わうどころか

何が書かれてあったのかまったく見当もつかない

――というような経験であることを

何度も何度も気づかされることがあるでしょう。

 

ところが

単に目を通したに過ぎないような読み方であっても

読まなかったこととは

まるで違うのです。

 

その詩を読んでいなかった時と

一度でも読み通した時とは

有と無ほどの違いがあります。

 

何かが電撃的に通じてしまう

――といえば

ひとりよがりかもしれませんが

一度読んだものは

何かがわかりかけるというようなことが

やがて起こってくることは確実です

その詩を読み続ける意志があるならば。

 

 

こうして……。

 

風よ おまへは寒いか

――の1行を読みはじめながら

風に寒いかと問いかける

この、これまで経験したことのないような

不思議な詩行に面食らいながらも

次の詩行へ目を走らせて

詩の中へ詩の中へと入り込んでいきます。

 

分からないながらに

ひと通り目を通すことは

詩を読むはじまりであることは

まちがいありません。

 

この経験(時間)を通じて

人は詩を読みますし

この経験がなければ

人は詩を読むことはありません。

 

 

風よ おまへは寒いか

閉ざされた時間の外で

生きものよ おまへは寒いか

わたしの存在のはづれで

 

――という「不在証明」という詩の第1連が

ようやく親近してきたのは

一夜明け二夜明けたころで

ある時、ふと何かが降りてきて

認識のようなことが起こります。

 

 

生きものよ おまへは寒いか

――という詩行に畳みかけられて

おや!

風と生きものが同じところにあると把握できたとき

その場所その時間は

閉ざされた時間の外であり

わたし(という存在)のはづれ(外)であることが見えます。

 

聡明な読み手は

一瞬にして

この詩のこの構造をつかんでしまうかもしれませんが

このようにして

ようやくこの詩と親近する場合は多いことでしょう。

 

ここではそれにしても

3日もかかりました!

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

2017年10月15日 (日)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<25>「純粋詩」の田村隆一「出発」

 

「荒地」は

 

戦前発行の「荒地」を第1次とし

 

戦後発行の「荒地」を第2次とし

 

この第2次「荒地」休刊後の1951年から1年ごとに出され

 

1958年までに8冊を出した「荒地詩集」があり

 

それぞれを区別するのが普通です。  

 

戦後の「荒地」グループは

 

自前の発表の場をただちに持てなかった期間に

 

各自がそれぞれメディアを探している状態でしたから

 

鮎川信夫が言うように

 

田村隆一が水先案内の役割をしていたというようなことがありました。

 

第2次「荒地」は

 

1947年9月に発行されるのですが

 

それまで、そしてそれ以後、1948年6月までに全6冊を出すまでの間も

 

この状態はつづき

 

こうした間に「純粋詩」へ

 

「荒地」の詩人たちのほとんどが詩や評論を発表しました。 

 

  

 

田村隆一が「純粋詩」に発表した作品を

 

年代順に見ると――。  

 

1946年

 

9月(第7号) 審判

 

12月(第10号) 紙上不眠・出発

 

           坂に関する詩と詩論  

 

1947年 

 

1月(第11号) 紙上不眠・生きものに関する幻想

 

          紙上不眠・不在証明 

 

3月(第13号) 目撃者

 

5月(第15号) 春

 

6月(第16号) 黒  

 

1948年

 

1月(第23号) 沈める寺

 

――となります。  

 

 

 

「純粋詩」1946年1月号に載せた

 

「紙上不眠・出発」という詩は

 

田村隆一が戦後に書いた詩の中でも

 

早い時期のものになるでしょう。  

 

現代詩文庫1「田村隆一詩集」(1968年)には

 

「初期詩篇から」の中に

 

この詩とともに

 

「生きもの関する幻想」

 

「不在証明」

 

「坂に関する詩と詩論」

 

――の4篇が

 

「純粋詩」発表作品として収録されています。

 

(※「坂に関する詩と詩論」に「純粋詩」掲載の付記がないのは、「荒地」または「荒地
 

詩集」などへの発表があったからかもしれません。)

 

  

 

出発  

 

おまへは信じない 私の生を

 

私は出発する 雨の中を 

 

暗い岸壁に私の船が着く

 

……そして私の生の幻影が  

 

黙って私は手を振る

 

それなのに おまへは信じない

 

私の生を 雨の中の私の出発を  

 

               紙上不眠

 

               「純粋詩」昭和21年2月号  

 

(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)

 

 

 

 

出発といえば

 

これは、出征のことを指すのか。 

 

そうではなくて

 

戦後の新しい生活のことを指すのか。  

 

出征のことであるならば

 

回想ということになり、

 

昭和18年12月9日、横須賀第2海兵団(武山)に臨時徴集現役兵として入団。海軍二等

 

水兵を命ぜられる。

 

――と自ら記す兵役への出発を扱ったことになります。  

 

回想ではなく

 

召集当時に書いたものを

 

戦後に発表したということも考えられます。  

 

出発には

 

兵役への出発の意味も

 

戦後の出発の意味も

 

どちらも含まれているということも考えられます。

 

 

いずれの場合であっても

 

私の生を

 

私の出発を

 

おまへは信じないというときのおまへは

 

単なる蔑称としての二人称でないことは明らかでしょう。

 

 

この詩のおまへは

 

私が私に呼びかけているおまへであり

 

おまへに信じられない私という私の

 

アンビバレンツな事態を

 

反語的にとらえたものと見做したらよいでしょうか。 

 

 

 

戦後になっても

 

詩人は

 

生に幻影を見るほかになく

 

着岸した船にまさに乗ろうとし

 

そして乗った船から、黙って手を振るのですが

 

それをおまへ(つまりは私)は信じない。

 

そのような

 

出発でした。 

 

 

 

この詩「出発」は

 

「紙上不眠」というタイトルの連作詩(あるいは組詩)ですが

 

紙上不眠という言葉に

 

どのような意味が込められているのかよくわかりません。 

 

死の不安から

 

脱け出られず

 

眠れない状態がつづいていたことを指すのでしょうか。 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

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