2020年10月 1日 (木)

その日、お墓に行くとおばあさんがいて、僕は思いました。もし死ぬと知ってたら短い人生を大切に思い、僕を傷つけなかった。もし僕に優しくしてくれていたら、きっと彼女の家族は死なずにすんだろう。

オリーブの林をぬけて
1994
イラン

アッバス・キアロスタミ監督・脚本・編集・製作、ホセイン・ジャフアリアン撮影。モハマッド・アリ・ケシャヴァース、F・ケラドマンド、Z・シヴァ、ホセイン・レザイ、タヘレ・ラダニアン

前作「そして人生はつづく」の1シーンを撮影する風景に、そのシーンに登場する青年が相手の娘に求婚する物語をからませて、劇外劇、劇中劇の様相を見せるキアロスタミ作品。

震災後4年を経たコケル村は、復旧が進んだが、山間に住んでいた人々の多くは、幹線道路沿いに引っ越している。「そして人生につづく」で、監督役ファルハッドが新婚の若者に取材するシーンがあったが、本作は、そのシーンの撮影現場を撮影しながら、そのシーンに起用された若者ホセインが熱心に相手役の娘タヘレに求婚する様を追う。

「君のおかげで撮影が中止になった。彼女との間に何があった。話してくれ」という、監督の問いに答えるホセインの現在を、ホセインに語らせよう。


エイノラの家で仕事をしていたときです。少し前のことです。その向かいが彼女の家だったんです。彼女は階段に座って、勉強していたんです。僕が働いている目の前で勉強していたんです。

彼女がおとなしく、よい娘に思え、きっとよい妻になる。彼女と結婚したいと思いました。

僕は仕事を続け、夕方まで働きました。帰る前に手足を洗いに行くと、彼女の母親も泉にやってきました。水を汲みにきたんです。娘のことをはなすと、すごく怒って。
(なぜ?)

たぶん、彼女の母親には僕が本気じゃないとか、不真面目だとか、彼女に相応しくないと。
(わかった。それで?)

夜、服を着替えているとエイノラがやってきて、明日から来ないでいいと。きっと彼女の母親に頼まれたんです。もっとよく働くひとを紹介するとか言われて。

地震が起こったのはその夜でした。エイノラの家族もお気の毒に。あの娘の家族も死にました。
(タヘレの両親が?)

ええ。
(それで?)

皆、死んだんです。喪に服して3日後にお墓へ行ってみると、人が大勢いたけど、彼女とは会えませんでした。喪に服して7日後に彼女が両親のお墓にいるのを見つけました。話をしようと思って近づいていくと、おばあさんにお祈りしろと言われた。僕がお祈りを終えないうちに行ってしまいました。
(その後に会ったのか?)

ええ。喪に服して40日目に1度だけ会いました。
(どんな話をした?)

その日、お墓に行くとおばあさんがいて、僕は思いました。もし死ぬと知ってたら短い人生を大切に思い、僕を傷つけなかった。もし僕に優しくしてくれていたら、きっと彼女の家族は死なずにすんだろう。僕は思いました。僕の悲しい心が、皆の家族を壊したと。

簡単に家を買えるわけないです。そのとき僕はやけをおこして言ってしまったんです。「今はもう誰にも家がない。僕もあんた方も、これで平等になった。たしかに僕には家がないけど、あんた方にもない。結婚の申し込みに返事をくれ」と。

そしたらこんな返事が返ってきました。本当に傷つきました。「皆、新しい家を建てている。見えないのか」って。
(なるほどな)

僕は11歳のときから、家を建ててきたんです。
(君の職業はなに?)

レンガ職人の手伝いです。
(というと?)

レンガを積んだり、泥とわらを混ぜたり、なんでもやりました。皆、僕に言いました。「家なしに嫁なし。お前には家がないから娘を嫁にやれないと。家なんて買えません。
(その後、彼女に会った?)

会いました。今日じゃなくて、先週の木曜日に撮影現場で監督さんに会ったときです。
(それで?)

もい1度、結婚の申し込みを、気が進まなかったけど、決心して行きました。
(どこへ?)

お墓です。そこで会いました。

この会話は、突然、ホセインがタヘレに最近会ったシーンの回想に転じた後、そのシーンに「カット!」という撮影中断の合図がかぶさるのである。ホセインがタヘルに会った「先週の木曜日」=過去が、撮影している今日の木曜日=「現在」に直接連なって行き、連なった場所は撮影で演技しているホセインとタヘレ、撮影中断で演技と離れているホセインとタヘレである。演技上(2人は新婚夫婦である)と現実上(ホセインがタヘレに一方的に求婚している)のホセインが、演技上と現実上のタヘレと交錯するのである。

映画は、ホセインのプロポーズの執拗(しつよう)さ、熱心さ、熱烈振りに焦点をしぼっていくが、タヘレの心の変化は不明だ。このシーンで、ホセインがタヘレに「OKなら本のページをめくってくれ」と返事を迫るが、タヘレがめくりかけたページは戻されてしまう。タヘレが、本のページをめくりかけ、また元に戻してしまうこのしぐさは、なかなか暗示的であり、タヘルの心が開きかけたことを示すのかもしれない。

エンディングは、撮影終了後に、独り徒歩で帰途につくタヘルを追うホセインをとらえる。緑なす丘を越え、オリーブの林を抜け、野原を行くタヘレを追うホセイン。ホセインもタヘレも撮影用の純白の衣服をまとい、野原を行く2人は緑の中の白2点になっている。ホセインの饒舌なほどのプロポーズの声はもはや聞こえてこない。白い点は、ときに1点になり、また2点になり、野原の端までホセインはタヘレを追うが、急に引き返す。

例によって、このシーンは遠撮され、ホセインの表情、タヘレの顔つきを見ることはできないが、冒頭にしか流れなかった音楽がBGMとして流れ、ホセインが戻ってくる足取りに心もち軽快な感じを与えていることに「恋の行方」が表現されているかのようだ。
(2001.5.11鑑賞&5.13記)

2020年9月30日 (水)

ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。

そして人生はつづく
1992
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

渋滞する幹線道路を、父と子が行く。目指すは、コケル村。父は、前作「友だちのうちはどこ?」の監督、コケルはそのロケ地である。1990年、イランを襲った大地震で、コケル村も壊滅的被害を蒙(こうむ)った。映画に出演してもらった少年アハマッドや村の老人たちは、無事でいられただろうか。とるものもとりあえず、監督は、ややくたびれた愛車に息子を同乗させ、コケルに向かっている。

映画は、道行く人々に、道を尋ね尋ねし、ときには降車して、復旧作業に追われ、テント生活を強いられている被災者と語らう父子を追うだけの、ノン・ストーリー作品である。だからといって、この作品をドキュメンタリーとは呼べない。緻密な演出、計算された会話、構成されたカメラワークなど、映画製作の技法が随所に散りばめられた映画である。1990年の大地震から2年後の1992年に完成し、公開されていることからも、そのことは推測できる。

プロの俳優を使わず、ほとんどが市井(しせい)の生活者を起用するキアロスタミ監督の映画作りの手法は、この作品でも顕著に現われるが、だからといって出演者になんの注文をつけないわけではない。その典型が、「友だちのうちはどこ?」にも出演したルヒ老人に見られる。

渋滞をそれて山道に入った父子が見るのは、何本もの亀裂が入った山肌である。長さ100メートル以上もある亀裂を前にして立ち往生する車が、豆粒のように俯瞰される。まさしく地震の爪跡(つめあと)であるが、人々は子を失い、親兄弟を失い、親族を失い、家財産を失う中で、悲嘆に明け暮れているばかりではない。テント生活を強いられながらも、遠い山道を往復し、生活物資を運び、洗濯し……復旧に懸命だ。

ルヒ老人も、トイレの便器を運んでいるところを、通りすがった父子の車に同乗することになる。という、実際は演出が入ったわけで、カメラが、偶然にも、便器を運ぶルヒ老人をとらえたのではない。映画が与えたルヒ老人の家に着くまでの、ルヒ老人の語りに耳を傾けてみよう。

(お忘れですか?)
わしをご存知ですか?
(覚えていませんか?)
わしが?はいはい、思い出しましたよ。
(本当に?)
はいはい。
(あなたがご無事で何よりです)
地震ですべてが壊れ、不便で大変ですが、幸いいまだ生きていますよ。神のご加護でね。
(マハマドブールの家は?)
どのマハマドブール?
(一緒に映画に出た……)
あの人たちはコケルだから、わしの村ではない。
(そうですね。この道でコケルへ行けます?)
地震の前には道があったんだが、今はもうなくなってしまったよ。
(この大変なときに、何を運んでるんです?)
口に出して言うまでもない物だよ。何に使うか、見ればわかるだろ?死んだ人は死んだ人、生きる人にはなくてはならぬ物だよ。<笑>やれやれ。だがね、わしが思うに、罪のない人々が死んで、沢山の家が壊れたのに、わしの家だけ無事だったなんて、神様はわしを特別扱いしてくださったのかね。
(すごい幸運の持ち主なんですね)
そんなことはない。
(なぜですか?)
わしが考えるのは、地震とは腹を空かせた狼のようなもので、手当たり次第に人を食べてしまうんだよ。神の仕業ではない。
(ルヒさん!=これは子の言葉)
なんだね?
(「友だちのうちはどこ?」では、もっとお年寄りでしたよね?=これも子の声)
映画の人たちが、背中にこぶをつけたからだよ。「もっと年寄りに見せなくちゃ」なんて言って。それでわしも言う通りにしたんだよ。本当は気に入らなかったがね。公平じゃない。<笑>
映画がどんな芸術か知らないが。年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術かね。若くきれいに見せるのが芸術ってものじゃないかね。人は年寄りになって初めて若さがわかるのさ。
(でも無事だったし、若く見えますよ)
死んではじめて生きてるありがたさがわかる。もし墓に入ったものが生きてくるなら、その人はよりよく生きるようになる。

会話は、まだ続き、ルヒさんの家に着くが、ここでもルヒさんは、ルヒさんの家とされている家が、実は映画が設定したルヒさんの家であることを暴露するのである。観客は、映画がこうして創られていることを知るが、どこまでが事実に則した内容であるのかを戸惑うまでもない。映画表現の手法として、このような方法もあることを受容できるのであるし、何よりも映画が伝えたかったことが伝わればよいのであるから。

コケルを目指し、父子の車は行く。途中、何度も何度も、コケルへの道を尋ね、コケルの状況を尋ねる。そして、アハマドブールの消息を尋ねながら、コケルはもうひとやまを越えたところに近づいている。

キアロスタミの映画は、結果を明らかにしない(場合が多い)。しかし、目標=テーマを放棄するわけではない。テーマを、この映画を見た人々に、より鮮明に、より多く自らの想像力で考えてほしいと考えているかのように、結果を明らかにしないのである。結果は、あきらかに、この今の中にある。この細部にある。このプロセスに隠されている、露出している、とでもいわんばかりである。

アハマドブールの消息、コケルの状況は、もうすぐ、目にすることが可能だ。もうひと息だ。車は、急坂を登りきれず、後退し、しかし、再びエンジンを最大限ふかして、登りはじめる。ひとやま越えた。また急坂が立ちはだかる。また登りきれず、押し戻され、坂のとば口まで後退する。そこへ、生活物資を背負った青年が通りかかり、車を押す。また再び、車は急坂を登り、ひとやま越えた……。

これらを、カメラが遠撮し、それは、まるでシジフォス神話でシジフォスが岩を山頂に運んでは落とされ、また運んでは落とされる、あの繰り返しのようであるが、まったく異なる行為である。ここに来るまで、何人もの家族兄弟を失ってなお、懸命に生きようとする少年少女や老人や青年男女との対話のプロセスを経てきた観客、そして映画の作り手には、希望が捕まえられているのである。
(2001.5.4鑑賞&5.6記)

2020年9月29日 (火)

夜遅く、マハマッドは、夕飯を食べる気持ちになれない。ノートをネマツアデに届けられなかったことに、胸が痛むのである。

友だちのうちはどこ?
1987
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

小学校の授業風景にはじまり、授業風景で終わる物語。ラストシーンの授業風景では、じわじわーっと感動のようなものが立ち上ってきて、いつまでもいつまでもその感動が反芻されるような作品だ。

成長経済下のイランの山村コケル。隣村のボシュテは、山を一つ越えたところにあるという感じだろうか。山というより、丘を一つ越えたと言ったほうが適切かもしれない。コケルの小学校には、遠地ボシュテから登校する子供たちもいる。

主人公のアハマッドはコケルに住み、親友のネマツアデはボシュテに住むが、ネマツアデの父親はドアの取り付け販売のために、ロバに乗ってコケルを訪れる関係にある。

ネマツアデが、書き取りのノートをアハマッドに間違えて持ち帰られたために宿題をできずに、教師にひどく叱られる。叱られたその日にも、同じ間違えでアハマッドは、ネマツアデのノートを持ち帰ってしまった。2人のノートは、表紙がそっくりで間違えやすかったのである。

物語は、アハマッドが、ネマツアデのノートを返しに、ボシュテの村を探しまわり、夜になってもネマツアデを見つけられずに、仕方なくコケルに戻り、翌日の授業にのぞむ……というシンプルなものだが、この過程で見聞きする人々の生活や少年同士の繋がりあいに、キアロスタミの眼差しが散りばめられる。

どの子供たちも、家父長的共同体の中にあり、親たちは生活に追われている。学校から戻った子供たちは、近代教育を受けながら、家に帰れば、その共同体の規範に従い、また、親たちの労働の手助けに参じている。アハマッドは、母親の手伝いや祖父の称するしつけに素直に応じる、心根の優しい少年である。そのマハマッドが、母親からのパンを買うお使いと、ネマツアデのノートを返しに行かなければならない、というディレンマに陥った。

アハマッドは、このディレンマを突破する。ボシュテのネマツアデに会いに行く。パンを買うお使いを忘れたわけではない。結果は、しかし、そのどちらも成就できなかったのである。

夜遅く、マハマッドは、夕飯を食べる気持ちになれない。ノートをネマツアデに届けられなかったことに、胸が痛むのである。帰宅した父親は、何も、言わない。母親も、昼間の母親ではなく、穏やかな声で、食事をしないマハマッドを労(いた)わる。

翌日の授業風景。マハマッドの姿がない。ネマツアデの心は、今にも、潰(つぶ)れそうである。教師が、後ろの席の生徒たちの宿題を点検しはじめているのだ。もうすぐ、教師がネマツアデの宿題を点検する。

その教室へ、マハマッドが、到着した。一時は、くたびれ果て、落ち込んだマハマッドが病気にでもなって、欠席したのだろうか、と思っても仕方のない事態であった。そのマハマッドが、ネマツアデの隣りの席に着くと、丁度、教師が2人のところへやってきた。

パラパラと、マハマッドのノートをめくる音。静かだ。OK、OK。今度は、ネマツアデのノートである。マハマッドの書いた書き取りを、教師は気づかない。OK、OK……。ネマツアデのノートに、花が一輪、押し花になっている。昨夜、ボシュテの村で親切にしてくれた老人が手折ってくれた花である。
(2001.5.3鑑賞、5.4記)

2020年9月28日 (月)

目を閉じてしまうのか? あの世から見に来たいほど、美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう1度、泉の水を飲みたくはないかね?泉の水で顔を洗いたくないかね?

桜桃の味
1997
イラン

アッバス・キアロスタミ監督。

自殺に関しての、長い長い映画である。昨年末、NHKの番組で長谷川肇久さんが、引き合いにしていたのを聞いて、見よう見ようと思っていたのを、ようやく見た。

舞台は、テヘラン郊外の丘陵地。というより、主人公バディの運転する車の中が大半である。自殺を決意した初老の男バディが、自家用車でその手助けを求め、街中や近郊の村を彷徨し、ときに助手席へ誘って、交渉する。「夜に睡眠薬を飲んで穴の中に横たわる。あなたは次の朝に来て、穴の中の私を呼んでほしい。返事がなかったら、土をかけて、埋めてほしい」というのが、男の頼みである。その交渉の会話が主軸となっている作品である。

会話はしかし、それだけが独立した世界を形成しているわけではない。荒地をジグザグしながら進む車を遠撮し、俯瞰する映像をともなっていたり、男の目に映る山肌、子供たち、村人たち、カラスの群れ、飛行機雲、猫、落日……などの風景が、会話に重なる。会話と映像は、巧みに絡まりあい、映像の中に言葉が沁み込み、言葉の中に映像が入り込む関係にあり、そこにまた作品の眼差しはある。男の目に映る風景は、男の内面をシンボリックに反映し、ひとつひとつ意味を付与されているようである。

セメント採掘現場を覗き込んだ男が、自分の影が、落下する瓦礫に重なるのにショックを受け、その場にしゃがみ込んでしまうシーンは、この映画の中で、映像と内面の最も緊張したシンボリックな表現になっている、といえるであろう。運転席から、男が見る風景は、荒々しい生のシンボルなのか、死のイメージがかぶさっているものなのか、ひとつひとつが何ものかを語っていて、緊迫感がみなぎる。その、男の視界と異なる、作品の視界(神学生と男の会話のシーンは、荒地を行く車を遠景でとらえる)には、キアロスタミ監督の眼差しがある。

クルドの若い訓練兵、神学を学ぶアフガンの青年らに、断られた男は、ついに自然史博物館で動物の剥製製作を仕事にしている老人ハゲリに巡り会う。ハゲリの子息は白血病で治療費の捻出に逼迫(ひっぱく)している、という設定だが、真偽のほどは問題ではない。ハゲリが、男の手助けに応じたのは、男が生きるためにであって、自殺の手助けではない、ということは、映画の中で断言されているわけではないが、そう感じさせる生への確信がハゲリに漂っている。ハゲリとは、普通のおじさんであるようにみえながら、ひとかどの人物であるから、そう理解できるのである。

若き日に、ハゲリ自身、自殺を試みた。そのときの様子を、男の運転する車の中で、語りはじめたハゲリにも、男の決意は揺らがない。揺らがないが、身心のどこかにボディーブローを与えているかのようでもある。荒れた丘陵の土煙は、男の目に死のイメージとして映っているのだろうか。ハゲリと会う直前、男は、セメント採掘場で、自らの死の影に怯(おび)えたばかりであった。

ハゲリが車の中で男に語った言葉を、書き出しておこう。

「思い出を話そう。結婚したばかりのことだ。生活は貧しく、すべてが悪くなるばかりだ。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。もう限界だとね。ある朝、暗いうちに車にロープを積んで家を出た。わしは固く決意してた。自殺しようと。1960年のことで、わしはミネアに住んでいた。

わしは家の側の果樹園に入って行った。1本の桑の木があった。まだ辺りはまっ暗でね。ロープを投げたが枝に掛からない。1度投げてだめ、2度投げてもだめ。とうとう木に登ってロープを枝に結んだ。すると手になにか柔らかい物が触れた。熟した桑の実だった。

1つ食べた。甘かった。2つ食べ、3つ食べ……。いつの間にか夜が明け、山の向うに日が昇ってきた。美しい太陽!美しい風景!美しい緑!学校へ行く子供たちの声が聞こえてきた。子供たちが木を揺すれと。わしは木を揺すった。皆、落ちた実を食べた。わしはうれしくなってきた。

それで桑の実を摘んで家に持って帰った。妻はまだ眠っていた。妻も起きてから桑の実を食べた。美味しいと言ってね。わしは死を置き忘れて、桑の実を持って帰った。桑の実に命を救われた。」

(ここで、男が問う。「桑の実を食べたら万事うまくいったとでも?」)

「そうとは言わない。わしが変わった。わしの気持ちが変わったし、考え方も変わった。すべて変わった。この世の人間はだれでも悩みを抱えて生きている。生きている限り仕方ない。人間が何億いようと、悩みのない人間はいない。悩みを教えてくれたら、もっと上手く話ができたが。

あんただって病院に行けば、医者に病むところを教えるだろ。あんたはトルコ人じゃないから、一つ、笑い話をしよう。怒らないで。

トルコ人が医者に行って訴えた。「先生、指で体を触るとあらゆるところが痛い。頭を触ると頭が痛い。足を触ると足が痛い。腹も痛い、手も痛い、どこもかしこも痛い。」
 医者は男を診察して、こう言った。「体はなんともない。ただ指が折れてる」と。

あんたの体はなんともない。ただ考えが病気なだけだ。わしも自殺しに行ったが、桑の実に命を救われた。ほんの小さな桑の実に。あんたの目が見てる世界は、本当の世界と違う。見方を変えれば、世界が変わる。幸せな目で見れば、幸せな世界が見えるよ。

そんなに若いのに。つまらない悩みで死んでしまうなんて。たったひとつの悩みで。人生は汽車のようなものだ。前へ前へ、ただ走って行く。そして最後に終着駅に着く。そこが死の国だ。死はひとつの解決法だが、旅の途中で実行してしまったらだめだよ。

初めはいいと思っても、間違っていることもある。まず、よく考えること。正しいと信じていても、後で間違っていることに気づくものだ。

希望はないのかね?
朝起きたとき、空をみたことはないかね。夜明けの太陽を見たいとは思わないかね?赤と黄に染まった夕焼け空をもう1度見たくないか?月はどうだ?星空を見たくないか?夜空にぽっかり浮かんだ満月を見たくない?

目を閉じてしまうのか?
あの世から見に来たいほど、美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう1度、泉の水を飲みたくはないかね?泉の水で顔を洗いたくないかね?

自然には四季があるが、四季はそれぞれで違った果物がとれる。夏には夏の果物。秋には秋の果物。冬は冬の果物、春には春の果物。この世のどんな母親も、それほど果物を備えられない。どんなに子供を愛する母親も、神には適わない。それほど神は人を慈(いつく)しんでいる。

すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか?
桜桃の味を忘れてしまうのか?
だめだ、友達として頼む。諦めないでくれ。」

車は、赤茶けた山肌の露出する丘陵の道を、右に折れ、左に折れ、やがて街中に出て、ハゲリの職場である自然史博物館へ辿(たど)り着く。ハゲリを降ろしてまもなく、男はハゲリのもとへ引き返し、死の手助けを確実に実行するように、ハゲリに念押しする。ハゲリの言葉は、男に、届いていないかのようだ。

やがて夜が来て、男は自殺を決行する穴へ入る。暗闇から、男は、満月に行き交う雲を凝視している――。

このシーンで男の物語は断絶し、一転、緑たわわな丘陵での撮影シーンとなり、キアロスタミ監督自らも登場、撮了を告げる。キアロスタミが言う。「これから音入れに入る」と。主人公の男も、撮影隊やエキストラがくつろぐ丘にまぎれている。そして、この映画で初めて、BGMが流れ、エンディングとなる。

男は、自殺を決行してしまったのだろうか?そこを、映画は見せない。それは、観客がこの作品をどう見るか、見たかにかかっていることを問いかけているかのようである。桑の実が救った命の話は、男に通じたのだろうか。桜桃の味が男の生きる力に響いたであろうか。

死へ向かう生存にとって、では、生きるとはどういうことか。ハゲリと男の巡り会いそのもの、会話そのもの、対話そのものの中に、ヒントが隠されている気がしてならない。自殺願望の男の物語というより、これは、一種、友情の物語として見ることができるのかもしれない。

登場する人々は、微塵も曲がったところのない誠実さを滲(にじ)ませている。その意味では、悪というものが、何ひとつ存在しない、人間賛歌を聴いた感じが強く残る作品でもある。
(2001.4.28鑑賞&記、4.30追補)

【アッバス・キアロスタミ・フィルモグラフィ】
パンと裏通り 1970
トラベラー 1974
コーラス 1992
友だちのうちはどこ? 1987
ホームワーク 1989
クロ-ズ・アップ 1990
そして人生はつづく 1992
オリ-ブの林をぬけて 1994
桜桃の味 1997
風が吹くまま 1999

2020年9月27日 (日)

映画であるためのあざとさは必要だったのか

ロリータ
1997年
アメリカ

エイドリアン・ライン監督、ウラジミール・ナボコフ原作。
ジェレミー・アイアンズ、ドミニク・スウェイン、
メラニー・グリフィス、フランク・ランジェラ。

1962年製作のスタンリー・キューブリック監督作品の日本公開は、いつだったのか。スー・リオンという名を鮮烈に覚えているのは、映画公開と前後して発行された単行本の表紙に、サングラスを鼻眼鏡にして何かをうかがっている正面向きの彼女の写真が使われていたからだ。そのころ、映画を見た記憶はない。

V・ナボコフの翻訳本を高校2年の時に教室で回し読みした(といっても、本当にみんなが読んで理解したかは疑わしいが)ことを覚えているのだから、やはり、本の表紙の印象が刻まれたのだろう。購入して学校へ持っていったのはぼくだから、確かに読んだのだが、内容はてんで覚えていない。ただ、文体の意外に湿潤な響きに嫌悪ではなく共感に近いものを抱いたことがぼんやりと思い出される。

高校生には、好色爺が若い娘を追い回す物語くらいの解釈しかできなかったはずだ。2000年の現在も、その程度の解釈が流布する俗物に満ちた時代には変りはない。そんなことにいちいち、あきれていても仕方ない。確か、白系ロシア人の白系の意味が、共産主義革命と戦って敗れた人々のことを指していることを、この本の解説で知った。ナボコフの流転の物語に、高校生ながら感じ入ったことがかすかな記憶として残っている。

エイドリアン・ラインの「ロリータ」は、少年時代の初恋の女性の死をトラウマとして抱えた初老の男が、生き写しのような娘ロリータに出会い、破滅的な恋に陥った果てに、殺人を犯すという二重、三重の劇で構成されている。

初老というにふさわしい年齢になって見た映画は、結末の殺戮シーンのエイドリアン流が存在しなければ、100点に近い共感を持てたはずだった。あのあざといシーンがなければ、あるいはあのシーンを他の撮り方をすれば、映画としての興行性や、作品としての現代性が薄くなり、エイドリアン流そのものが無くなってしまう。それでは、ナボコフファンの心だけを撃つ作品になるに違いなかった。しかし、そうして欲しかった、とエイドリアンに欲求しても無意味であるが、ぼくはそうして欲しかったのである。
(2000.9.3記)

«1953年のニューヨーク・ブルックリン風景

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