詩人の永い午後
大岡昇平は「中原中也の思い出」の中で、「昭和三年に連れ立って東京の街をうろつき廻った頃の我々は全く呑気なものであった」と記したのに続けて……。
――歩くのはまだあまり舗装の侵入していなかった中央線沿線の檜葉垣の多い裏通りであったり、震災後めっきり増えた擬西洋風のファサードを持った商店の並ぶ旧市内の電車通りだったりするが、そういう道の先にはたいてい我々の数少ない友人の家があって、我々は昨夜夜通しで喋った疲れた頭をいわばそういう友人の家へ休めに行くのである。
と書いている。
省線の駅で三つや四つほどの距離を、
すたすた歩いてゆく詩人らの姿が
鮮やかに見えてきます。
若き日には、
詩人でなくとも、
こうした時間を過ごしたことがある
そのような時間です。
――そういう友人はたいてい留守のことが多く、結局我々はどっかそこいらの喫茶店か飲み屋に入って、永い午後をすごすことになる。
こういう時間です。
歩くといっても、このような時間を「歩く」と呼ぶ場合もあるのです。
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