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2008年6月 8日 (日)

太宰治に搦む中也by檀一雄その2

034

檀一雄はさらに続けます。
ここでは、
中也が太宰に「挑んだ」時、
そのとばっちりを受け、
やむなく中也を雪の道に放り投げたことが記されています。

――第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から、同じように搦まれ、同じように閉口して、中原から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
 雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯くように、
  夜の湿気と風がさびしくいりまじり
  松ややなぎの林はくらく
  そらには暗い業の花びらがいっぱいで
と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。
 飛鳥氏の家を叩いた。太宰は出て来ない。初代さんが降りてきて、
「津島は、今眠っていますので」」
「何だ、眠っている? 起せばいいじゃねえか」
 勝手に初代さんの後を追い、二階に上がり込むのである。
「関白がいけねえ。関白が」と、大声に喚いて、中原は太宰の消燈した枕許をおびやかしたが、太宰はうんともすんとも、云わなかった。
 あまりに中原の狂態が激しくなってきたから、私は中原の腕を捉えた。
「何だおめえもか」と、中原はその手を振りもごうとするようだったが、私は、そのまま雪の道に引き摺りおろした。
「この野郎」と、中原は私に喰ってかかった。他愛のない、腕力である。雪の上に放り投げた。
「わかったよ。おめえは強え」
 中原は雪を払いながら、恨めしそうに、そう云った。それから車を拾って、銀座に出た。銀座からまた、川崎大島に飛ばした事を覚えている。雪の夜の娼家で、三円を二円に値切り、二円をさらに一円五十銭に値切って、宿泊した。
 明け方、女が、
「よんべ、ガス管の口を開いて、一緒に殺してやるつもりだったんだけれど、ねえ」そう云って口を歪めたことを覚えている。
 中原は一円五十銭を支払う段になって、また一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨ににまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、
 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。多分、車代は同氏から払ってもらったのではなかったろうか。

今や、遠き日のことです。
これを書いた檀一雄も逝って久しく
これら遠き日のことどもを知っている文士たちは、
おおかた死んでしまって、
この世にいません。

記録の中にしか存在しなくなった詩人たち、小説家たち、評論家たち…
その足跡を、しかし、
記録の中に辿ることができるだけでも、
この人々は幸せと言い得るのではないでしょうか。

ことあげもされずに、
死んでいった無名の詩人たちはいくらでもいます。

記録に残されなかった詩人たちの代わりにといってよいほどに
いろいろなところで
中也は書き記されました。

それはやはり偉大なことであります。

中原中也という詩人は
「喧嘩」一つが、
書かれる価値を持っていました。

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