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2008年6月

2008年6月29日 (日)

詩人の帰郷/風に立つ

145

名作が続きます。
噛めば噛むほどに味が出てくる
珠玉の作品の列。

詩篇一つひとつの見事さばかりでなく
詩篇の配列にも妙があります。

詩群の選択および配列に
物語が意図されたのでしょうか。

帰郷という詩は
東京を遠く離れた場所のイメージを
スパッと拓いてみせますが

戦いに敗れて
生まれ故郷に帰省した
というのではなく

故郷に錦を飾ったのでもなく
かといって
蕩児の帰郷とも異なる
詩人の帰郷は……

変な言い方ですが
帰郷それ自体が
詩であったようですし、
一時帰省でありました。

帰郷も詩作の旅の
途中のことでした。

最終連
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

ここには
深い悔恨に打ちひしがれる詩人はいません
むしろ
それに答える詩人が
風の中に凛として立っている姿が見えてきます。

と、読めないでしょうか?

 *

 帰郷

柱も庭も乾いてゐる
今日は好い天気だ
    椽の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細さうに揺れてゐる

山では枯木も息を吐く
あゝ今日は好い天気だ
    路傍(ばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いてゐる
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月28日 (土)

冬の雨の夜/土砂降り

2008029_066

季節は冬だというのに雪じゃなくて雨……。
しかも、土砂降りの雨……。
ああ!
これだけで絶望を
観念反応するのに十分ではありませんか?

いいえ
中也の詩は観念なのではありません。

しなびた乾し大根が
夕方のほの暗い灯の中に吊られている景色。
あの陰惨さはまだよかった。

いま、冬の夜に土砂降りの雨
それに……。
死んだ女たちの声さえ聞こえてくるではありませんか
aé,ao,aé,ao,aéo,éo!
アエアオアエエオアエオエオ

このあたり
ランボーの影響といわれる詩句だそうです

死んだ女たちの声の漂うその雨の中に
病気のときに使ったあの乳白色の氷嚢
いつのまにか消えてしまった氷嚢が現れて……

母さんの帯締めも雨に流されて……

ああ 人の情けというものは
つまるところ
蜜柑色のあったかいものではなくて
蜜柑の色だけのような
中身のないものでした。

最終行の末尾に
「?……」があるのが利いています。

 ◇
「中原中也 帝都慕情」で
著者の福島泰樹が
「中原中也の詩の中で、私が最も浅草をつよく喚起する」と記し、

――この詩を唇にのせると私はきまって、私を生んだ翌春、二十七歳の若さで死んでいった母のことを思い描いてしまうのだ

と、この詩への特別な思いを述べている作品です。

 *

 冬の雨の夜

 冬の黒い夜をこめて
どしやぶりの雨が降つてゐた。
――夕明下(ゆふあかりか)に投げいだされた、萎(しを)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だつた――
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐる。
亡き乙女達の声さへがして
aé,ao,aé,ao,aéo,éo!
 その雨の中を漂ひながら
いつだか消えてなくなつた、あの乳白の脬嚢(へうなう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐて、
わが母上の帯締めも
雨水(うすい)に流れ、潰れてしまひ、
人の情けのかずかずも
竟(つひ)に蜜柑(みかん)の色のみだつた? ……

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月27日 (金)

深夜の思い/崖の上の彼女

20080127_075


1日が終わり、
ものみな寝静まった深夜です。
詩人は一人、
思索に耽ります。

すると、また
どうしようもなく、
ある女性のことを
考えることになります。

言うまでもなく
この女性は
中原中也が愛し、
友人小林秀雄の元へと去った
女優志願の女性長谷川泰子のことです

と、読めるのは、
最終連に、
「彼女の思ひ出は悲しい書斎の取方附け」
の1行があるからで、
これが、
泰子の荷物の片付けを手伝った
引越しの思い出であることがわかります。

この1行を手がかりに
最終連の4行は、

彼女は、
断崖にあり、
その上を精霊が怪しく飛び交っている、
彼女の思い出といえば
悲しい書斎の後片付け、
彼女はまもなく死ぬことになっている

くらいに読むことができれば、
第4連も、

真っ黒の浜辺に
マルガレエテ=泰子が歩いている
ベールは風に吹き飛ばされそうだ
彼女の肉体は飛び込まなければならない
厳格なる神、父なる海に

くらいに読むことができそうです
どちらも
激しく彼女を求める
ウラハラでしょう

しかし、
ダダが復活したかに見える
第1連から第3連までは
解釈を拒むものがあり、
難渋します

第1連
泡立つカルシウム、は、
炭酸カルシウムのことで、
サイダーのようなものが
シュッと泡を立てた後
おとなしくなっていく
急激な、
頑固な女児の泣き声だ。
鞄屋の女房の夕べの鼻汁だ。
靴屋の女房は働き者で、
夕方にもなれば、
くたびれを隠さず
鼻汁をぐずぐず言わせている。

冒頭の「これ」とは、
タイトルの
深夜の思いを指示していて、
これ=深夜の思いは、
突然で頑固な女児の泣き声
鞄屋の女房の夕べの鼻汁
みたいだ、
という比喩でしょうか
むしろリアリズムが底にあります

第2連の主格は、
林の黄昏で、
これが
擦れた母親であり、
おしゃぶりのお道化た踊りである、
という不気味なイメージは、
詩人に独特な世界です
ただちに
「在りし日の歌」の
「この小児」を連想させます。

擦れた母親は、
疲れた母親か。
黄昏どきの林が、
疲れた母親のようで、
虫が飛び交う梢のあたりの空には
おしゃぶりをくわえて
お道化が踊っている。
シュールなイメージです。

第3連
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
は、狩りの情景で、
毛を波打たせて走り去る猟犬を
猟師が猫背で追い、
その、今、
犬が走り、猟師が走る草地は、
森に続いているけれど、
急斜面の坂だ!
(危ないぞ!)
と、ややユーモラスなイメージです。

ようやく
このように読めますが、
他の読み方もできることでしょう

こうして
崖の上にいるピンチの彼女へ
詩人の深夜の思いは
募っていくばかりです

 *
 深夜の思ひ

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆふべ)の鼻汁だ。

林の黄昏(たそがれ)は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交ふ梢のあたり、
舐子(おしやぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
森を控へた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪しげなる条(すぢ)を描く。
彼女の思ひ出は悲しい書斎の取片附け
彼女は直きに死なねばならぬ。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月26日 (木)

黄昏/詩人の誓い

20080623_081

山羊の歌の初期詩篇を
読み進んでいきましょう。

今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

という詩句で終わった「秋の一日」の
次にレイアウトされたのは「黄昏」。

――当時の桃園は中央線の東中野と中野駅の中程の南側、線路から七、八町隔った恐らく田圃を埋めたてて出来た住宅地である。
 下宿の裏には蓮池があって、私には、

 蓮の葉は、図太いので
 こそこそとしか音を立てない。(「黄昏」)

 の句は、この下宿と切離しては考えられず(略)

と、大岡昇平が
「中原中也『Ⅱ朝の歌』」(角川文庫)
の中に書く「黄昏」です。

蓮池を前に長い間佇んでいた詩人は
蓮の葉が擦れ合う音を先ほどから聞いています。
夕方です。

葉音が聞こえてくると
ぼくの心も揺れるのです。
なぜって、
失ったものは帰って来ない!

女はもうぼくのところに戻らないであろう。
悔恨の念がじわじわともたげてきます。
悲しいことはいろいろあるけれど
これほど悲しいことはありません。

そしてしばらくすると
今度は根っこの匂いが鼻をつくのです。

……

だからといって
ぼくは、耕す人になるものではないですよ!
と、心に決めたことを確かめていると
親父の像が出てきたりするので
それを潮(しお)に
ぼくはぼくが決めた道を歩きはじめるのです。

前作に続いて
志を確認し宣言する詩になっています。

 *

 黄昏

渋つた仄(ほの)暗い池の面(おもて)で、
寄り合つた蓮の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)ふ……
黒々と山がのぞきかかるばつかりだ
――失はれたものはかへつて来ない。

なにが悲しいつたつてこれほど悲しいことはない
草の根の匂ひが静かに鼻にくる、
畑の土が石といつしよに私を見てゐる。

――竟(つひ)に私は耕やさうとは思はない!
ぢいつと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立つて、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月24日 (火)

丸ビル風景/正午のサラリーマン

128

中也がサラリーマンを歌った詩は
もう一つ
有名な「正午 丸ビル風景」があります。

昼休みのサイレンが鳴ると
ワーッとサラリーマンたちが
ビルの小さな玄関からゾロゾロ出てくる様子を

サイレンだサイレンだ
出てくるわ出てくるわ
小ッちやな小ッちやな

ぷらりぷらり
あとからあとから
ぞろぞろぞろぞろ
響き響きて

などと、リフレインを
面白いほど上手に
効果的に使って
ユーモラスな響きの中に
描いています

まるで
チャップリンが
しがない労働者を見る目と
同じに見えてきます。
あの、あったかい眼差し。

中也には
サラリーマンが
毎日毎日同じことを繰り返す
リフレインそのものでした。

 *

 正午
  丸ビル風景

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月22日 (日)

秋の一日/シレーヌの誘惑

128

3-4-4-3-4と
計18行の最終連の4行が
しばしばあげつらわれる
名高い作品です。

ポケットに手を突っ込んで
ぼくは歩いた
夜の街を

ランボーが
パリの街を歩いたように
中也は東京の街を歩き
横浜の路地を抜け
波止場に出ます

今日の僕の魂に合う
詩の断片を探しにいってこよう

歩く詩人が
歩きながら
あるいは歩いた果てに
掴み取ろうとしているものこそ
詩そのものでした

シレーヌの誘惑になんて
負けてはいられぬ
ぼくが探しているのは
一片の詩……


 *

 秋の一日

こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によつて、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しやく)と広場と天鼓のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしやがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しやが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

(水色のプラットホームと
躁(はしや)ぐ少女と嘲笑(あざわら)ふヤンキイは
いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出でて
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

都会の夏の夜/サラリーマン

052

東京のサラリーマンたちの姿が
中也によってとらえられました。
銀座か新宿か東中野か横浜か
相も変らぬ都会の夜の風景です。

ラアラア
ラアラア

サラリーマンたちが高唱する中身は
ききとれません
ただラアラアとだけ聞こえます

糊のきいたよそ行きの白いシャツの襟も
曲がちゃって

口を大きく開ききった
その心がどこか悲しい
頭の中は土の塊にでもなってしまったかのように
ラアラアとだけ
がなりながら
帰っていく

ここには、しかし
非難がましさはありません
あきれているばかりではなく
サラリーマンへの哀れみのようなものさへ
漂います

いい加減に
おれも
ラアラアと高吟したいよなあ
という共鳴の響きすらあります

 *

 都会の夏の夜

月は空にメダルのやうに、
街角(まちかど)に建物はオルガンのやうに、
遊び疲れた男どち唱ひながらに帰つてゆく。  
――イカムネ・カラアがまがつてゐる――

その脣(くちびる)は胠(ひら)ききつて
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊になつて、
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。

商用のことや祖先のことや
忘れてゐるといふではないが、
都会の夏の夜(よる)の更(ふけ)――

死んだ火薬と深くして
眼に外燈の滲みいれば
ただもうラアラア唱つてゆくのだ。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

臨終/逝った女

20080413_038

「朝の歌」以後
視界がグンと開けた感じになり
グンと読みやすくなります。

ソネットが多くなり
定型への意識が強くなります。

ところどころに文語調が現れるのは
外国の詩の翻訳が
文語体で行われるのが常套であった
昭和初期の流れに逆らうものではなく、
フランス象徴詩に惹かれて
脱ダダイズムを試みていた
詩人の模索と矛盾しません。

1連4行の後半2行を2字下げにしてみたり
14行にとらわれず16行としてみたり
さまざまに試みられます。

「臨終」には、
くっきりとした形で
女性が登場しますが、
その女性はすでに死んだ後のことで、
思い出の中に
消えていこうとするかのようでありながら、
窓際で髪を洗う姿が
昨日のようにありありと浮かぶ
近い過去です

第2連、
窓近く婦(をみな)の逝きぬ
第3連、
窓際に髪を洗へば

と、
二つの行に出てくる「窓」の
受け止め方によって、
この女性のイメージは
異なってきます

一人は
詩人のファム・ファタル(運命の女)
長谷川泰子、
一人は
詩人が横浜で遊んだ
色街の女性

受け止め方は
自由ですが、
いづれにしても
その女性の臨終を歌いながら、
臨終の後には
この女性の魂はどのようになるのか?
やがては、空になるのだろうか?
と、疑問符をつけて
詩人自身にも問うているおもむきがあり、
他人行儀の臨終でないことは確かです

詩人の中の何かが終わり、
この魂はどのようになってしまうのだろう?
空になってしまうのだろうか?
と、自身に問うているかの
響きに哀切感があります

 *
 臨終

秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花
  あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(をみな)の逝きぬ
  白き空盲(めし)ひてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?

(角川ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)

2008年6月21日 (土)

春の夜/中也詩のダダの強度

006

中原中也が山口中学を落第し
京都の立命館中学に転向したのは
1923年(大正12年)16歳のことです。

生地を離れ
自活をはじめた中也に開かれる
新世界。

その一つがダダでした。
京都の古書店で偶然見つけた
「ダダイスト新吉の詩」に触発され
「ダダさん」とあだ名で呼ばれる時期もあった
中也でした。

詩人富永太郎を知ったのも
駆け出しの女優長谷川泰子を知ったのも
京都でしたが、
3年と満たない滞在でした。

泰子とともに上京したのは
1925年(大正14年)中也18歳の年です。
詩で身を立てる決意を固めるのですが
東京での詩作が
ダダイズムをきっぱり断ち切ったわけではありません

それどころか
ダダイズム的詩作法は
終生、中也の詩に影を落とし
独特の強度を与えていくことになります。

新しい詩境とされる
「朝の歌」までに作られた
4篇の「初期詩篇」は
ダダおよび脱ダダの詩として
じっくりと読んでおきたい詩ですが
「春の夜」は、
難解を極めます

いぶし銀のような色の窓枠の中に
ひともとの桃色の花が見える、
あれは桜、桃の花か

月の光を浴びて気を失ったように、
庭の地面はほくろ状の模様になっている

ああなんとも平穏なことだ
木々よ恥じらいを知り
立ち回れよ

今涼しげな音楽が聞こえているが
希望はなく、
かといって
懺悔するほどでもない

敬虔な木工だけが
夢の中を行くキャラバンの足並みを
かすかに見るであろう

窓の中には
さわやかでおぼろげで
砂の色をした絹衣が揺れ動いている

大きなピアノが鳴り響いているけれど
祖先はないし、親も消えてなくなった

昔埋葬した犬はどこかと、
振り返っていると、
遠い日がサフラン色によみがえってきたよ
ああ今は、春の夜なんだなあ

春の夜の
優艶で妖艶な情景が
歌われていて
幻想的ですし
夢のようです

場所は、
中国唐代の宮廷?
フランスの宮殿?
アラビアの王城?
と、とんでもない想像が
広がりそうになります

第4連の、
希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。
と、
第7連の、
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

これらの、
否定形で述べられた
主体(主格)が
詩人でありましょう

どこそこの
だれそれが
何をどうした
という物語の主述が錯綜していて、
主格を探すのに苦労しますし、
疑問は次々に湧いてきます

謎解きの姿勢で詩を読むのも
一つの方法ですが
やれこの行はベルレーヌ、
やれこの行はブラウニングと
分析が行き過ぎては
泥沼に入りますから
深追いはほどほどに。

1行でも理解できれば
そこをきっかけにして
イメージを膨らまし、
ほかの行を読んでいると
また新しい読みが生れたりして、
少しづつ溶けていくこともあります。

詩の謎は、
謎のままにしておいたほうがよい
という場合もあります。

 *
 春の夜

燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  庭(には)の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

あゝこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまはれ。

このすゞろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。

山虔(つつま)しき木工のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝もほのみゆれ。

窓の中(うち)にはさはやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(ごろも)。

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

埋みし犬の何処(いづく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいづる
      春の夜や。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

2008年6月20日 (金)

Home coming

作詩:中原中也 英語訳:春野一樹 作曲・歌:桜木うさこ ピアノ:おっくん

The pillar and the garden are dry.
It is good weather today.
The cobweb shakes helpless,
At  the  ground  under  the  floor

The withering tree also vomits the breath in the mountain.
Ah it is good weather today.
Under  the  sod   in the roadside,
an innocent sorrow is done.

This is my  birthplace.
The wind blows clearly, too.
To cry without reserve,
It has middle-aged  woman's low voice.

Ah when what was done, you are…
It blows and the coming wind says to me.

(※原詩:中原中也「帰郷」より)

「homecoming.mp3」をダウンロード

※再生ボタンを押すと曲を聴くことができます。回線速度によっては少々時間がかかる場合があります。

2008年6月19日 (木)

はなだ色/朝の歌

006

一つ齧っては、また一つ
充分に感じられたのか
存分に味わえたのか
漠とした感覚を残しながら
また一つ、と中也の詩の中に
分け入って行きます。

 *

 朝の歌

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
  うしなひし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たひらかの空、
  土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

グンとやわらかい感じになったようです。
文語調ですし
ソネットというのも元来優しい響きを放つものなのでしょうか。

静かな朝の情景のようです

前夜、酔っ払っちまって眠り込んだ中也は
目覚めた床の中で
雨戸を漏れる真っ赤な陽光を見ます

ああ、朝が来たんだ
外は晴れ上がって
ラピスラズリの空…。
はなだ色らしい。

静かな朝の気分に浸っています

樹脂の香り
風が鳴る
広々とした空…

しみじみとした
希望さえ感じさせる
安定した時間…

ばんざい!を言いたくなってきます

2008年6月17日 (火)

茶色い戦争ありました/サーカス

20070503_006

茶色い戦争、と読んで
わかったような感じがしますが
なかなかです。

過去には
戦争もあったなあ
疾風の吹く冬もあったなあ
いまじっとそんな過去を回想している自分は
一杯ひっかけて盛り上がっているのです

殷という中国古代都市国家の賑わい
殷賑を極める、という熟語があります
その殷の字をここで使っているのですね

一杯やっているのは
屋外の野原かどこかで
きっと一人なのでしょう

突如、サーカス小屋が目の前に現れ
ブランコが揺れはじめます……

……

ゆあーん ゆよーん

……

というような読みもできるかな
ぜんぜん違っているかもしれません。

 *

 サーカス

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
  安値(やす)いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外(やぐわい)は真ッ闇(くら) 闇(くら)の闇(くら)
夜は劫々と更けまする
落下傘奴(らくかがさめ)のノスタルヂアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

トタンがセンベイ食べる/春の日の夕暮

20080525_014h_2

詩集「山羊の歌」は、
いま手元にある佐々木幹郎編
中原中也詩集『山羊の歌』(角川文庫クラシックス)で数えると

初期詩篇22
少年時9
みちこ5
秋5
羊の歌3

と、合計で44篇で構成されています。

中也が残した詩篇は
全部でおよそ300篇といわれています。

トタンがセンベイ食べて
と、はじまる「春の日の夕暮」は
「初期詩篇」の冒頭
つまり
「山羊の歌」という詩集のトップを飾ります。

「初期詩篇」のトップから4篇

「春の日の夕暮」
「月」
「サーカス」
「春の夜」

は、ダダイズムの詩といわれているもので
語句の意味にこだわっていると
迷路に入ったような
わけのわからない世界に分け入ることになります

トタンがセンベイを飲み込んじゃってるよ
穏やかだなあ、春の夕暮れ
あの山も下手の方から青ずんで
笑えちゃえそうに静かだなあ

案山子なんぞいませんよ
馬が嘶く姿なんぞも見えませんよ
月の光だけがヌルヌルと
おとなしい夕暮れです
春の夕暮れです

解釈を試みると
変になります。
隠された意味がありそうだ
などと詮索するのはほどほどに。

意味不明な語句も気にしないで
どんどん続けて
読んでいきましょう。

……
ポトホトと
ポトホトと

……

野原の真ん中に
あれは太陽
真っ赤に燃えている

油がきれた
荷馬車がギシギシ

ぼくが
歴史的現在に物を言う

世の中の人並みに
まともな発言をしたらば
笑われちゃった
空とか山とかに

瓦が1枚はがれてどっかへ行っちまったよ
春の夕暮れは
もの言わず
まっすぐに暮れていきます

どこへ行くかって?
静脈管の中へです
血の中へです

 春の日の夕暮

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

吁(ああ)! 案山子(かかし)はないか――あるまい
馬嘶(いなな)くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮れか

ポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮れは
無言ながら 前進します
自(み)らの 静脈管の中へです

*最終行「自(み)ら」は「みずから」と読ませ、「自(お)ら」を「おのずから」と使い分ける慣わしが、中也の時代に行われていました。「白狐さん」から、コメントをいただきました。声に出すときは、「みずからの 静脈管の中へです」と読みましょう。

2008年6月15日 (日)

汚れつちまつた悲しみに…2

001

「第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。」と、
檀一雄が「小説 太宰治」に記し、
それに続けて語られた中原中也のある日のことは、
色々なことを考えさせられます。

「太宰治に搦む中原中也by檀一雄その2」で
ふれなかったことを
ここで補っておきましょう。

檀一雄は、中也と飲んだ2回目の時を回想した中で
中也が太宰に「夜襲」をかけた1件を書きます。
太宰の住処を訪ねる道すがら、
中也が宮沢賢治の詩を口ずさんだことを記しています。

太宰の家に着き
「奥様」の初代さんの応対を無視して
太宰の寝ている枕元に上がり込んだ中也を見かねた檀一雄は
ついに雪の道に中也を投げ出してしまいます。
「わかったよ。おめえは強え」と
中也が観念する場面です。

それから、「二人は」銀座に出、その後川崎の娼家で夜を明かします。
翌朝、追い立てられるように外に出た雪の道で
中也は「汚れつちまつた悲しみに…」を口にします。、

「小説」とわざわざ檀一雄が断っている作品の中でのことですから
事実との間にはいくらかの断絶があるのかもしれません。

しかし
「汚れつちまつた悲しみに…」という詩が
この世の中に現れた時の
その登場の仕方の一つ形を
想像できるという点で
この場面は注目に値します。

中原中也が、
宮沢賢治の詩に感心し、
自らの詩作に影響を受けたことは
よく知られています。

その賢治の詩を口ずさみ
また
自作「汚れつちまつた悲しみに…」を低吟して歩く中也の姿は
実際にはなかったことなのかもしれませんが
強く印象に残るのです。

2008年6月12日 (木)

いのちの声 その3

0924_017

「山羊の歌」は、自選詩集です。
中原中也が自作の中から選択し
配列を考え、タイトルを考え
苦心の末に世に出した詩集です。

中也には、もう1冊の詩集「在りし日の歌」がありますが、
出版を待たずに中也は死んでしまいました。
「山羊の歌」は
中原中也が生きているうちに手にした
たった1冊の詩集です。

その詩集の最後に配された作品が
「いのちの声」です。

その「いのちの声」の
最終節の1行に
何度も何度も
耳を傾けてみようではありませんか!

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

この1行は
この1行だけが独立したフレーズではありません。

Ⅲでは、
腹にしまい込んでいる怒りがあるのなら
表に出して怒れ! 怒れよ!
怒ることは大事なことだよ
だけれども、決して忘れてはいけない
怒ることが目標なのではない
最後の目標は怒りじゃない
本当の目標を前にして
怒りに足元をすくわれて
次に控えている、最も大切な行為への転調を妨げてはならない

というようなことが詩句化されます。
その後の1行ですし

その前には
これまで見てきた
第1節、第2節があります。

一つの詩の
分断し得ない流れの行き着いた果てに
この1行はあり、
なお、「山羊の歌」の全ての詩の果てに
この1行はあるのです。

いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

2008年6月11日 (水)

いのちの声 その2

20080127_013h

一気に、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳと読んでしまいます。
第1節は、Ⅰというナンバーはふられていませんが、
起承転結の起になっていて、
Ⅱは承、
Ⅲは転、
Ⅳは結という構成になっています。

寂漠の気分にとらえられる僕だが
ずっぽりとその中に沈潜しているものではなく
何かをいつも求めている
その何かとは何か、と立ち上がった詩は

Ⅱで
それは、手短に説明しようとしても出来ないものなんだ
生きるってことは簡単には説明出来ないものだ
だからこそ生きるということは価値をもっている、
としかいえないような……

と引き継いでいきます。

その後、どう展開していくのでしょうか
とにかく、いっぺん、読んでみましょう。

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

2008年6月10日 (火)

いのちの声 その1

20080127_038h

中也の詩を味わってみましょう。
「いのちの声」という詩で、
「山羊の歌」の末尾に中也自身が配しています。
声に出してみましょう。
「寂漠」あたりに
ポイントをおくといいかもしれません。
「寂漠」は「悲しみ」に連なっている感情だから
入って行きやすいかもしれません。

いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

ここまでが、全部で4節ある内の第1節です。
2節もこれほどの行数で、
3節がこれの4分の1ほど、
4節は1行ですから、
これだけで約半分です。

寂漠に浸っているばかりじゃないぞ
おれは、何かを求めている
何かだか、分らないが、求めている

それは
空の歌、というのでもなさそうです。

(つづく)

中也が安吾に挑む時

Photo

「(前略)私はこの酒場で中原中也と知り合った。」と、
坂口安吾は「ウヰンザア」という酒場での
中也との初対面について書いています。
「二十七歳」という標題の年代記的小自伝で、
27歳の自らを回想し、
中也を初めて知った時の事件にふれます。

――中原中也は、この娘にいささかオボシメシを持っていた。そのときまで、私は中也を全然知らなかったが、彼の方は娘が私に惚れたかどによって大いに私を呪っており、ある日、私が友達と飲んでいると、ヤイ、アンゴと叫んで、私にとびかかった。
 とびかかったとはいうものの、実は二、三メートル離れており、彼は髪ふりみだしてピストンの連続、ストレート、アッパーカット、スイング、フック、息をきらして影に向かって乱闘している。中也はたぶん本当に私と渡り合っているつもりでいたのだろう。私がゲラゲラ笑いだしたものだから、キョトンと手をたれて、不思議な目で私を見つめている。こっちへ来て、いっしょに飲まないか、とさそうと、キサマはエレイ奴だ、キサマはドイツのヘゲモニーだと、変なことを呟きながら割りこんできて、友達になった。非常に親密な友達になり、最も中也と飲み歩くようになったが、その後中也は娘のことなど嫉く色すらも見せず、要するに彼は娘に惚れていたのではなく、私と友達になりたがっていたのであり、娘に惚れて私を憎んでいるような形になりたがっていただけの話であろうと思う。
(角川文庫「暗い青春・魔の退屈」『二十七歳』より)

「不思議な目」とはどんな目だろう。
安吾は、中也の目に
ただならぬものを感じたに違いありません。
小僧をつかまえて、
からかってやろうなどという優越が、
微塵もありません。

安吾の本能になにかが伝わりました。
なにかが電撃的に伝わりました。
一瞬のうちに、二人は友達になりました。

それにしても
みかけ上はまるで異なる風貌をしていたに違いない二人の
出会い。

2008年6月 8日 (日)

太宰治に搦む中也by檀一雄その2

034

檀一雄はさらに続けます。
ここでは、
中也が太宰に「挑んだ」時、
そのとばっちりを受け、
やむなく中也を雪の道に放り投げたことが記されています。

――第二回目に、中原と太宰と私で飲んだ時には、心平氏はいなかった。太宰は中原から、同じように搦まれ、同じように閉口して、中原から逃げて帰った。この時は、心平氏がいなかったせいか、中原はひどく激昂した。
「よせ、よせ」と、云うのに、どうしても太宰のところまで行く、と云ってきかなかった。
 雪の夜だった。その雪の上を、中原は嘯くように、
  夜の湿気と風がさびしくいりまじり
  松ややなぎの林はくらく
  そらには暗い業の花びらがいっぱいで
と、宮沢賢治の詩を口遊んで歩いていった。
 飛鳥氏の家を叩いた。太宰は出て来ない。初代さんが降りてきて、
「津島は、今眠っていますので」」
「何だ、眠っている? 起せばいいじゃねえか」
 勝手に初代さんの後を追い、二階に上がり込むのである。
「関白がいけねえ。関白が」と、大声に喚いて、中原は太宰の消燈した枕許をおびやかしたが、太宰はうんともすんとも、云わなかった。
 あまりに中原の狂態が激しくなってきたから、私は中原の腕を捉えた。
「何だおめえもか」と、中原はその手を振りもごうとするようだったが、私は、そのまま雪の道に引き摺りおろした。
「この野郎」と、中原は私に喰ってかかった。他愛のない、腕力である。雪の上に放り投げた。
「わかったよ。おめえは強え」
 中原は雪を払いながら、恨めしそうに、そう云った。それから車を拾って、銀座に出た。銀座からまた、川崎大島に飛ばした事を覚えている。雪の夜の娼家で、三円を二円に値切り、二円をさらに一円五十銭に値切って、宿泊した。
 明け方、女が、
「よんべ、ガス管の口を開いて、一緒に殺してやるつもりだったんだけれど、ねえ」そう云って口を歪めたことを覚えている。
 中原は一円五十銭を支払う段になって、また一円に値切り、明けると早々、追い立てられた。雪が夜中の雨ににまだらになっていた。中原はその道を相変わらず嘯くように、
 汚れちまった悲しみに
 今日も小雪の降りかかる
と、低吟して歩き、やがて、車を拾って、河上徹太郎氏の家に出掛けていった。多分、車代は同氏から払ってもらったのではなかったろうか。

今や、遠き日のことです。
これを書いた檀一雄も逝って久しく
これら遠き日のことどもを知っている文士たちは、
おおかた死んでしまって、
この世にいません。

記録の中にしか存在しなくなった詩人たち、小説家たち、評論家たち…
その足跡を、しかし、
記録の中に辿ることができるだけでも、
この人々は幸せと言い得るのではないでしょうか。

ことあげもされずに、
死んでいった無名の詩人たちはいくらでもいます。

記録に残されなかった詩人たちの代わりにといってよいほどに
いろいろなところで
中也は書き記されました。

それはやはり偉大なことであります。

中原中也という詩人は
「喧嘩」一つが、
書かれる価値を持っていました。

汚れつちまつた悲しみに…/悲しみの世界性

038h

ここできちんと
「汚れちつまつた悲しみに…」
原作に触れておきましょう
願わくば
声に出して読んでみましょう。

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日は風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

もはや
世界に通用する悲しみといって過言ではない
日本語で表された悲しみは
いかなる悲しみも追随できません

この悲しみは
味わうことしか
経験できない
感じることしか
味わえない
いかなる解釈も
撥ね退ける
悲しみであります

これは
だれにでも
感じることのできる
感情です
素朴な読者=大衆は
これを感じます

感じることができます。

太宰治に搦む中也by檀一雄

030h
中也の歩行は、
たいていの場合、酒場で終着し、
たいていの場合、一騒ぎありました。

中原中也と交流のあった
多くの文学者、創作家がその一騒ぎについて書いています。

檀一雄の「小説 太宰治」から引用します。

――――寒い日だった。中原中也と草野心平氏が、私の家にやって来て、ちょうど、居合わせた太宰と、四人で連れ立って、「おかめ」に出掛けていった。初めのうちは、太宰と中原は、いかにも睦まじ気に話し合っていたが、酔が廻るにつれて、例の凄絶な、中原の搦みになり、
「はい」「そうは思わない」などと、太宰はしきりに中原の鋭鋒を、さけていた。しかし、中原を尊敬していただけに、いつのまにかその声は例の、甘くたるんだような響きになる。
「あい。そうかしら?」そんなふうに聞こえてくる。
「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔をしやがって。全体、おめえは何の花が好きだい?」
 太宰は閉口して、泣き出しそうな顔だった。
「ええ? 何だいおめえの好きな花は」
 まるで断崖から飛び降りるような思いつめた表情で、しかし甘ったるい、今にも泣き出しそうな声で、とぎれとぎれに太宰は云った。
「モ、モ、ノ、ハ、ナ」云い終って、例の愛情、不信、含羞、拒絶何とも云えないような、くしゃくしゃな悲しいうす笑いを泛べながら、しばらくじっと、中原の顔をみつめていた。
「チェッ、だからおめえは」と中原の声が、肝に顫うようだった。
 そのあとの乱闘は、一体、誰が誰と組み合ったのか、その発端のいきさつが、全くわからない。
 少なくとも私は、太宰の救援に立って、中原の抑制に努めただろう。気がついてみると、私は草野心平氏の蓬髪を握って掴みあっていた。それから、ドウと倒れた。
「おかめ」のガラス戸が、粉微塵に四散した事を覚えている。いつの間にか太宰の姿は見えなかった。私は「おかめ」から少し手前の路地の中で、大きな丸太を一本、手に持っていて、かまえていた。中原と心平氏が、やってきたなら、一撃の下に脳天を割る。
 その時の、自分の心の平衡の状態は、今どう考えても納得はゆかないが、しかし、その興奮状態だけははっきりと覚えている。不思議だ。あんな時期がある。
 幸いにして、中原も心平氏も、別な通りに抜けて帰ったようだった。古谷綱武夫妻が、驚いてなだめながら私のその丸太を奪い取った。すると、古谷夫妻も一緒に飲んでいたはずだったが、酒場の情景の中には、どうしても思い起こせない。
(檀一雄「小説太宰治」岩波現代文庫より)

それにしても
青鯖が空に浮かんだような顔しやがって
には笑えますね。

中也はきっと
書かれた言葉の魅力に劣らない
喋り言葉の迫力をもっていたのでありましょう
機関銃のように飛び出す
言葉。

2008年6月 6日 (金)

汚れつちまつた悲しみに/悲しみ一般と泰子

狐裘(こきゅう)は
わかりやすく言えば
ミンクの毛皮とか
豹(ひょう)の毛皮とか、のような
女性が身に着ける衣裳……。

だから
汚れちまった悲しみの主語は
中也から去った女
長谷川泰子である
と読むのは自然ではある

けれど
「汚れっちまった」と
わざわざ促音便を用い
(表記は「汚れつちまつた」です)
白秋調で歌われたこの詩を
長谷川泰子の悲しみに限定するのも無理である

たとえ文法的に
泰子の悲しみを歌ったものだとしても
泰子の悲しみを通じて
泰子の悲しみにかぶせるように
中也自身の悲しみを歌っている

世間はそのように受け止めてきた
のであったし

――詩人が「汚れつちまつた悲しみ」と歌う時、それは彼のあらゆる個人的な事情を離れて「汚れつちまつた悲しみ」一般として感じられるのである。(大岡昇平)

大衆の想像力が間違えることもなかったのだし
分析よりも感じることが
重要だということですね。

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日は風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

Blind autumn

作詩:中原中也 英語訳:春野一樹 作曲・歌:桜木うさこ ピアノ:おっくん

My Saint Maria
Anyway, I vomited its blood.
Anyway, I gave up because you do not receive mercy.

Also though it is because I was not obedient
Also to me, also though it is because faintheartedly.
Though you also loved me because it was very natural that I love you ….

Oh. My Saint Maria
You should at least know only this though it is now helpless.

No one can permit it is not that frequent and this for natural
love is to be known as such however very naturally.

(原詩:中原中也「盲目の秋」より)

「blind_autumn.mp3」をダウンロード

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2008年6月 3日 (火)

汚れつちまつた悲しみに/狐の皮裘

「汚れちまった悲しみに」の中で
「たとえば狐の皮裘」と
中也は
古風とも、モダンとも受け取れる
比喩を用いています
皮裘は「かわごろも」と読みます

中国では古来、
狐の皮毛で作った衣服を尊重し
高貴な女性が着用するものとされています

詩句に沿って読むと
では
これはだれが着ていたものでしょうか
「汚れちまった悲しみ」の主体は
だれだったのでしょうか

これを
長谷川泰子と読む解釈と
中原中也その人と読む解釈とが
錯乱しています

 *
 汚れつちまつた悲しみに……

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日は風さえ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる…

2008年6月 2日 (月)

Sadly dirty

春野一樹さんが英訳した中原中也の詩を、クラブなどでも活躍しているジャズシンガーの桜木うさこさんが曲をつけて歌っています。スタイリッシュなジャズ調の響きと中原中也の感性とのコラボレートは聴いていてとてもスリリング。

「Sadly dirty」

作詩:中原中也 英語訳:春野一樹 作曲・歌:桜木うさこ ピアノ:おっくん

Sadly dirty,
It begins light- snowing today.
Sadly dirty,
Even the wind blows too much today.

Sadness that is dirty,
For instance, the leather clothes of the fox,
Sadness that is dirty,
It shrinks in the light snow.

Sadness that is dirty,
A wish of being what is hoped,
Sadness that is dirty,
The death of boredoms is softly dreamt.

Sadly dirty,
It is frightened...miserable...
Sadly dirty,
It is not, and grows dark when doing the day ・・・・.

(※原詩:中原中也「汚れちまった悲しみに」より)

「01_sadly_dirty_2.mp3」をダウンロード

(アナザーバージョン)

「01_sadly_darty.mp3」をダウンロード

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