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2008年6月27日 (金)

深夜の思い/崖の上の彼女

20080127_075


1日が終わり、
ものみな寝静まった深夜です。
詩人は一人、
思索に耽ります。

すると、また
どうしようもなく、
ある女性のことを
考えることになります。

言うまでもなく
この女性は
中原中也が愛し、
友人小林秀雄の元へと去った
女優志願の女性長谷川泰子のことです

と、読めるのは、
最終連に、
「彼女の思ひ出は悲しい書斎の取方附け」
の1行があるからで、
これが、
泰子の荷物の片付けを手伝った
引越しの思い出であることがわかります。

この1行を手がかりに
最終連の4行は、

彼女は、
断崖にあり、
その上を精霊が怪しく飛び交っている、
彼女の思い出といえば
悲しい書斎の後片付け、
彼女はまもなく死ぬことになっている

くらいに読むことができれば、
第4連も、

真っ黒の浜辺に
マルガレエテ=泰子が歩いている
ベールは風に吹き飛ばされそうだ
彼女の肉体は飛び込まなければならない
厳格なる神、父なる海に

くらいに読むことができそうです
どちらも
激しく彼女を求める
ウラハラでしょう

しかし、
ダダが復活したかに見える
第1連から第3連までは
解釈を拒むものがあり、
難渋します

第1連
泡立つカルシウム、は、
炭酸カルシウムのことで、
サイダーのようなものが
シュッと泡を立てた後
おとなしくなっていく
急激な、
頑固な女児の泣き声だ。
鞄屋の女房の夕べの鼻汁だ。
靴屋の女房は働き者で、
夕方にもなれば、
くたびれを隠さず
鼻汁をぐずぐず言わせている。

冒頭の「これ」とは、
タイトルの
深夜の思いを指示していて、
これ=深夜の思いは、
突然で頑固な女児の泣き声
鞄屋の女房の夕べの鼻汁
みたいだ、
という比喩でしょうか
むしろリアリズムが底にあります

第2連の主格は、
林の黄昏で、
これが
擦れた母親であり、
おしゃぶりのお道化た踊りである、
という不気味なイメージは、
詩人に独特な世界です
ただちに
「在りし日の歌」の
「この小児」を連想させます。

擦れた母親は、
疲れた母親か。
黄昏どきの林が、
疲れた母親のようで、
虫が飛び交う梢のあたりの空には
おしゃぶりをくわえて
お道化が踊っている。
シュールなイメージです。

第3連
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
は、狩りの情景で、
毛を波打たせて走り去る猟犬を
猟師が猫背で追い、
その、今、
犬が走り、猟師が走る草地は、
森に続いているけれど、
急斜面の坂だ!
(危ないぞ!)
と、ややユーモラスなイメージです。

ようやく
このように読めますが、
他の読み方もできることでしょう

こうして
崖の上にいるピンチの彼女へ
詩人の深夜の思いは
募っていくばかりです

 *
 深夜の思ひ

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆふべ)の鼻汁だ。

林の黄昏(たそがれ)は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交ふ梢のあたり、
舐子(おしやぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向ふに運ぶ。
森を控へた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪しげなる条(すぢ)を描く。
彼女の思ひ出は悲しい書斎の取片附け
彼女は直きに死なねばならぬ。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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