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2008年6月10日 (火)

いのちの声 その1

20080127_038h

中也の詩を味わってみましょう。
「いのちの声」という詩で、
「山羊の歌」の末尾に中也自身が配しています。
声に出してみましょう。
「寂漠」あたりに
ポイントをおくといいかもしれません。
「寂漠」は「悲しみ」に連なっている感情だから
入って行きやすいかもしれません。

いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

ここまでが、全部で4節ある内の第1節です。
2節もこれほどの行数で、
3節がこれの4分の1ほど、
4節は1行ですから、
これだけで約半分です。

寂漠に浸っているばかりじゃないぞ
おれは、何かを求めている
何かだか、分らないが、求めている

それは
空の歌、というのでもなさそうです。

(つづく)

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