黄昏/詩人の誓い
山羊の歌の初期詩篇を
読み進んでいきましょう。
今日の日の魂に合ふ
布切屑(きれくづ)をでも探して来よう。
という詩句で終わった「秋の一日」の
次にレイアウトされたのは「黄昏」。
――当時の桃園は中央線の東中野と中野駅の中程の南側、線路から七、八町隔った恐らく田圃を埋めたてて出来た住宅地である。
下宿の裏には蓮池があって、私には、
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音を立てない。(「黄昏」)
の句は、この下宿と切離しては考えられず(略)
と、大岡昇平が
「中原中也『Ⅱ朝の歌』」(角川文庫)
の中に書く「黄昏」です。
蓮池を前に長い間佇んでいた詩人は
蓮の葉が擦れ合う音を先ほどから聞いています。
夕方です。
葉音が聞こえてくると
ぼくの心も揺れるのです。
なぜって、
失ったものは帰って来ない!
女はもうぼくのところに戻らないであろう。
悔恨の念がじわじわともたげてきます。
悲しいことはいろいろあるけれど
これほど悲しいことはありません。
そしてしばらくすると
今度は根っこの匂いが鼻をつくのです。
……
だからといって
ぼくは、耕す人になるものではないですよ!
と、心に決めたことを確かめていると
親父の像が出てきたりするので
それを潮(しお)に
ぼくはぼくが決めた道を歩きはじめるのです。
前作に続いて
志を確認し宣言する詩になっています。
*
黄昏
渋つた仄(ほの)暗い池の面(おもて)で、
寄り合つた蓮の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。
音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)ふ……
黒々と山がのぞきかかるばつかりだ
――失はれたものはかへつて来ない。
なにが悲しいつたつてこれほど悲しいことはない
草の根の匂ひが静かに鼻にくる、
畑の土が石といつしよに私を見てゐる。
――竟(つひ)に私は耕やさうとは思はない!
ぢいつと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立つて、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
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