冬の雨の夜/土砂降り
季節は冬だというのに雪じゃなくて雨……。
しかも、土砂降りの雨……。
ああ!
これだけで絶望を
観念反応するのに十分ではありませんか?
いいえ
中也の詩は観念なのではありません。
しなびた乾し大根が
夕方のほの暗い灯の中に吊られている景色。
あの陰惨さはまだよかった。
いま、冬の夜に土砂降りの雨
それに……。
死んだ女たちの声さえ聞こえてくるではありませんか
aé,ao,aé,ao,aéo,éo!
アエアオアエエオアエオエオ
このあたり
ランボーの影響といわれる詩句だそうです
死んだ女たちの声の漂うその雨の中に
病気のときに使ったあの乳白色の氷嚢
いつのまにか消えてしまった氷嚢が現れて……
母さんの帯締めも雨に流されて……
ああ 人の情けというものは
つまるところ
蜜柑色のあったかいものではなくて
蜜柑の色だけのような
中身のないものでした。
最終行の末尾に
「?……」があるのが利いています。
◇
「中原中也 帝都慕情」で
著者の福島泰樹が
「中原中也の詩の中で、私が最も浅草をつよく喚起する」と記し、
――この詩を唇にのせると私はきまって、私を生んだ翌春、二十七歳の若さで死んでいった母のことを思い描いてしまうのだ
と、この詩への特別な思いを述べている作品です。
*
冬の雨の夜
冬の黒い夜をこめて
どしやぶりの雨が降つてゐた。
――夕明下(ゆふあかりか)に投げいだされた、萎(しを)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だつた――
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐる。
亡き乙女達の声さへがして
aé,ao,aé,ao,aéo,éo!
その雨の中を漂ひながら
いつだか消えてなくなつた、あの乳白の脬嚢(へうなう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしやぶりの雨が降つてゐて、
わが母上の帯締めも
雨水(うすい)に流れ、潰れてしまひ、
人の情けのかずかずも
竟(つひ)に蜜柑(みかん)の色のみだつた? ……
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
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