中也の詩の「女」たち
「山羊の歌」の全篇の
いくつかには
「女」が登場します。
その「女」のほとんどが
長谷川泰子をモデルにしている
といわれています。
中也は、京都で知り合い
京都で同棲しはじめた泰子と連れ立って
東京での生活をスタートしました。
1925年、大正14年3月のことでした。
その泰子が
文学的僚友である小林秀雄のところへ
出奔してしまうのは
その年の11月でした。
中也と泰子の関係が
ここで断たれたわけではなく
小林秀雄自らが名づけたように
「奇妙な三角関係」が
以降、ずっと続きます。
泰子を失った中也の
懊悩、狼狽、衝撃……は
後になって
「私は口惜しい人であった」と
記されるように
中也の心を支配し
中也の格闘ははじまります。
この格闘が
歌われないわけがありません。
いま、「山羊の歌」の内の
初期詩篇44篇に
表現された詩句だけをたどってみても
「女」は随所に見られ
直喩、暗喩……
シンボライズ……
擬人化……など、
レトリックの中に登場する「女」も
あちこちに散らばっています。
例えば
「春の夜」の
第1連
燻銀なる窓枠の中になごやかに
一枝の花、桃色の花。
とあるのは、明らかに
「女」です。
これを、
長谷川泰子とみなすのか、みなさないのか
それを探る試みには
深入りしません。
それは
研究、考証……の仕事です。
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