夏/血を吐くような
血を吐くような、とは、
過激です。
メランコリーとか倦怠とか
物憂さ、だるさ、とかが
血を吐くほどに高じているのです。
しかも、夏のことです。
麦はまだ穂を出していないかもしれません
草波の青に太陽は照りつけ
眠っているかのような悲しさで
空が遠いもののように感じられます
空は燃えている
畑はずっと続いている
雲が浮かび
陽が眩しい
今日も、昨日もそうだったように
太陽は燃え
大地は眠っている
血を吐くような切なさのせいで……
ここで
詩の中の時間が動きます
詩人は
距離を置いたかのように
詩人の心の、
嵐のように揺れ動いたそれまでを
眺めやるのです
それは、終わってしまい
もはやそこから何かを手繰り出そうとしても
何の糸口もないもののようだ
それは、燃える太陽の向こうで眠っている
私は、亡骸として残ります
私は、骸(むくろ)であっても
このまま残ります
血を吐くように切なさ悲しさですが……
体言止めでの
切なさ、悲しさ、です。
これも、
長谷川泰子との叶わぬ恋らしいのですが
恋だけには終わっていません
恋以上、恋以外が
歌われているように
受け取ることができます。
*
夏
血を吐くやうな 倦(もの)うさ、たゆけさ
今日の日も畑に陽は照り、麦に陽は照り
睡るがやうな悲しさに、み空をとほく
血を吐くやうな倦うさ、たゆけさ
空は燃え、畑はつづき
雲浮び、眩しく光り
今日の日も陽は炎(も)ゆる、地は睡る
血を吐くやうなせつなさに。
嵐のやうな心の歴史は
終焉(をは)つてしまつたもののやうに
そこから繰(たぐ)れる一つの緒(いとぐち)もないもののやうに
燃ゆる日の彼方(かなた)に睡る。
私は残る、亡骸(なきがら)として――
血を吐くやうなせつなさかなしさ。
*たゆけさ 緩んでしまりのない状態。だるさ。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
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