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2008年7月12日 (土)

ギロギロ生きていた/少年時

ここには、
「恋愛」はないでしょう。
「女」の影もないでしょう。

しかし
暗喩というレトリックによれば
少年時代のできごとにかこつけて
泰子との失恋を歌った詩と
解釈できなくもありません。

ここでは
そんな深読みはしません。

でも
少年時代だけのことを回想した詩
とだけに限定して読むと
ただの思い出の詩かあ
ということになり
詩作品としての深みがなくなる
ということもあります。

少年時代のことを歌ったように
見せかけて
実は
つい最近の出来事
つい最近の喪失感
つい最近の失恋を歌った
ということは考えられます。

青黒い石は河原の石か
田舎の川に照りつけるカンカンの太陽
土肌は朱色をして眠るような静けさ

地平の果てに立つ蒸気
入道雲のことか
不吉に見えたのだ

麦の田を風が撫で倒し
それは、灰色で
爽やかなものではない

その上に黒い影
あれは飛行機が落とす影か
伝説の巨人のようだ
だいだらぼっちの物語

夏の午後
みんな昼寝の時間だというのに
ぼくは野原を走り回っていた
一人っきりで

希望を唇で噛み締めるように必死に
ギロギロする目で求めて……

諦めていた
冷徹な心をも失わずに

ああ
ぼく生きていた
生きていたのだ

やっぱり
「女」は出てこない、と
受け取ります。

ギロギロする目で諦める
ここに「女」がいそうではありますが……

 *

 少年時

黝(あをぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡つてゐた。

地平の果に蒸気が立つて、
世の亡ぶ、兆(きざし)のやうだつた。

麦田には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だつた。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のやうに、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午(ひる)過ぎ時刻
誰彼の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走つて行つた……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦めてゐた……
噫(ああ)、生きてゐた、私は生きてゐた!

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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