無限の前に腕を振る/盲目の秋
集中の絶唱に
突如、会います。
4章に分かれる長詩です。
連というより章と言う方がふさわしい
1章1章が独立した世界を展開します
第2章以外には
もろに、女=長谷川泰子が歌われます
なにも付け加えることもありません。
ただ読むだけでいい
ただ味わうだけでいい
魂の震えに合えばいい
小林秀雄のもとへ去った泰子でしたが
こんどは小林秀雄のほうが泰子から去り
中原中也は再び泰子に求愛します
しかし、受け入れてはもらえません
3、4章は、ほぼこの事実に照応していることが
多くの研究で明らかにされています。
大岡昇平が、
この時から、中也の恋がはじまった、とする
恋愛詩が多産される時期。
死ぬほど好きになった女
死ぬほど好きになってしまった男
実際は
中也の住処に
泰子が訪れることもあった、という
二人のただならぬ関係を
中也は絶望の底で
悲しんでいました。
風が立ち、
波が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
歯を食いしばって
断崖に立つ詩人。
甘やかな恋の時間にはいません。
苦しい
血を吐くような恋です……。
*
盲目の秋
1
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれなゐ)の花が見えはするが、
それもやがては潰れてしまふ。
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思つて
酷薄(こくはく)な嘆息するのも幾たびであらう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしづかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)へ、
去りゆく女が最後にくれる笑(ゑま)ひのやうに、
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでゐて佗(わび)しく
異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
あゝ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
無限のまへに腕を振る。
2
これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填(つ)めて、跳起きられればよい!
3
私の聖母(サンタ・マリヤ)!
とにかく私は血を吐いた! ……
おまへが情けをうけてくれないので、
とにかく私はまゐつてしまつた……
それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
おまへもわたしを愛してゐたのだが……
おゝ! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。
4
せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでせうか。
その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや、
その時は白粧をつけてゐてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
何にも考へてくれてはいや、
たとへ私のために考へてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径を昇りゆく。
*ローマ数字を、アラビア数字1、2、3、4と表記し直しました。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
« ギロギロ生きていた/少年時 | トップページ | 二人だけの時/わが喫煙 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント