青春のカドリール/春の思ひ出
東京郊外といわず
たとえば渋谷や中野、
世田谷、杉並……にも
れんげの咲く原はありました。
この詩の場所がどこだか
摘んで摘んでたくさん溜まった
れんげの花を
持って帰るにゃ
ちと面倒過ぎて
そこいらの原に投げ捨てて
帰りの道を急いだ
思い出ならば
だれにもあることだし
どこでもいいではありませんか
叩きつけて
その場を去ったものの
寂しさに……哀れさに……
振り返っては
何事もなかった顔をして
手などをはたいて
走ってきたよ
まだ陽は暮れ残っている!
家に辿り着けば
和やかな夕餉のとき
秋の日の夕方の光なのか
それともご飯を炊く煙の匂いなのか
とろとろに
ぼくを眩(くら)ませるものがありました。
すると詩人は……
古い時代の立派な屋敷の
カドリールという
ダンスに興じる男と女
スカートが揺れている
老若男女入り乱れて
楽しげに踊る
中世フランスのある館に
ワープするのです
眩暈(めまい)のするほどの
幸福なときの絶頂
おお
永くは続かないものであることの
恐れ、嘆きへと
転じます……。
ああ
いつの日か
なくなってしまうのか
カドリール!
第4連での
突然の場面転換
転調が
思い出のスケールを大きくします。
幼時の思い出が
青春の思い出へと飛躍します。
青春の思い出が
人の世の思い出へ……。
*
春の思ひ出
摘み溜めしれんげの華を
夕餉(ゆふげ)に帰る時刻となれば
立迷ふ春の暮靄(ぼあい)の
土の上(へ)に叩きつけ
いまひとたびは未練で眺め
さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
(暮れのこる空よ!)
わが家へと入りてみれば
なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙か
われを暈(くる)めかすもののあり
古き代の富みし館(やかた)の
カドリール ゆらゆるスカーツ
カドリール ゆらゆるスカーツ
何時の日か絶えんとはする カドリール!
*カドリール quadrille(仏)組になった男女が方形に並んで踊るフランスの舞踊。
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
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