寒い夜の自我像
恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまへの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたひ出すのだ。
しかもおまへはわがままに
親しい人だと歌つてきかせる。
ああ、それは不可ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ做し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
以上は
「山羊の歌」に公表された
「寒い夜の自我像」の続篇、
と大岡昇平が明らかにしている詩です。
(大岡昇平「片恋」。初出は「文芸」1956年6月号)
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
この2行の背景を
大岡昇平は
解き明かしているのです。
この時期の長谷川泰子を、
「十九歳の私の眼から見れば、もう老いがその病身の顔に現れていたのだが、彼女はまだ自身を美しいと思い、銀幕上の見込のない成功にしがみついていた。」
と、なかなか辛らつな物言いをしています。
したがって、
この詩は
長谷川泰子そのものを登場させている、
と言ってよいでしょう。
その恋は
失われたものなのでした
だから……
だからといって
単なる失恋の詩
なのではありません。
失恋の詩でありながら
「志」を述べ
詩人のスタンスを宣言し
魂のありようを歌い
詩論を展開し
思想を語る……
中也の詩は
恋愛の詩であっても
恋愛だけに終わることのない詩になります
この一本の手綱
その志
静もりを保ち
儀文めいた心地をもつて
陽気で、坦々として、己を売らないわが魂
これらは
きらびやかなものではありません
*
寒い夜の自我像
きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆(せうさう)のみの愁(かな)しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、
聊(いささ)かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫(いさ)める
寒月の下を往きながら。
陽気で、坦々として、而(しか)も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!
*儀文 形式、型のこと。
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
◇この詩「寒い夜の自我像」は、中原中也が最も積極的だったといわれる同人誌「白痴群」の創刊号(昭和4年4月刊)に掲載されました。「プロ」の詩人としての中原中也が、活字にした初の詩作品ということになります。
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