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2008年7月 5日 (土)

ぎーこたん ばったり/港市の秋

104

「帰郷」あたりから
東京を離れた詩世界が
ふたたび、都会の匂いを放ちはじめます。

といっても
そこは横浜らしい。
「秋の一日」と同じ舞台の横浜らしい。

詩人は
埠頭の見える丘にいます。

その手前の石崖に
朝の陽光が射し
息を飲む美しさです。
その向こうの港に
カタツムリの角(つの)のようなものは
繋留中の船のマストだろうか……。

いま歩いてきたばかりの町では
煙管の手入れをするおじさん
住家の屋根はリラックスしてあくびをし
空はぽっかり割れて真っ青な青空
休日の役人はどてら姿もしどけなく
くつろいでいました。

水兵がなにやら
今度生まれてきたら
なんて歌うのが聞こえました。
ばあさんが
ぎーこたん ばったりしようよ
なんて歌うのも聞こえました。

港町の秋です
眠りたくなりような
穏やかな
私の入り込めない……
おとなしい……
ものみな発狂したような風景でした。

私は
この日
わたしがいられる場所を
失って
私が存在できる場所を探そうと
心に決めるのでした……。

 ◇
横浜へ中也は
「女」と会いにでかけたことが
知られています。
 ◇
一連の「横浜もの」などと
呼ばれているようですが 
「サラリーマンもの」とも
分類できそうです。

 *

 港市の秋

石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むかふに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角でもあるのか

町では人々煙管(きせる)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生れたら……』
海員が唄ふ。
『ぎーこたん、ばつたりしよ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたふ。

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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