6章に仕立てられた長編は
そう多くはありません。
「山羊の歌」
「在りし日の歌」の、
公刊2詩集の中で
1、2を争う長い作品でしょう。
1章は、7行+5行の12行
2章は、2行×7連の14行
3章は、2行×5連の10行
4章も、2行×5連の10行
5章は、2行×7連の14行
6章は、4-4-3-3のソネット
行数だけで数えると
78行あります
(題辞のフランス語4行を含む)
詩集の最後の
一つ前の作品であり
大作を置きたかった
詩人の意図が見えます。
本当に
大作です。
冒頭、
Pour tout homme, il vient une èpoque
où l'homme languit. ―Proverbe.
と、題辞に用いられたのは、
「誰でも疲れるときがくる」
という意味のフランスの諺(ことわざ)
Il faut d'abord avoir soif……
――Cathèrine de Mèdicis.
とあるのは、
「まず喉の渇きを……」と
誰か近親の者に語ったかした
フランスのカトリーヌ王妃の言葉
であることが、
ほとんどの詩集編集者によって
注釈されています。
大意だけ分かれば
深追いはしないほうがよいでしょう
中也がここにフランス語の詩句を置いて
意味したかったのは、
「誰でも疲れるときがくる」
「まず喉の渇きを……」
であり、
「憔悴」という詩題に
ピタリとはまっています。
ぼくは、もはや、善い意志をもっては目覚めなかった
そして
起きれば、憂愁に満ちて、いつも思うのだった
ぼくは、悪い意志をもって夢みるのだった
言っておくけど
ぼくは、そこに安住したのではなかったのだけれど
そこから抜け出すこともできなかったんだ
そして
夜が来ると、ぼくは、思った
この世は、海のようなものだ、と。
少し時化(しけ)た夜の海を思った
そこを、やつれた顔の船頭が
おぼつかない手で船を漕ぎながら
獲物を探し、
水面を睨んで過ぎて行く
ぼくは、いつしか船頭になっている
と、考えてよいでしょうか
2の章は
ぼくは、昔、恋愛詩などはくだらないもの
と思っていたのに
今は、恋愛詩を作り
やり甲斐を見つけている
でも、まだ、恋愛詩ではダメだと思い
単なる恋愛詩以上の詩境を求めている
その心が間違っているかいないか知らないが
とにかく、そう思う心がある
それでしばしばぼくは苛立ち
かえってとんでもない希望を抱くことになる
昔、恋愛詩などはくだらないもの
と思っていたのに
今では、
恋愛を夢みる以上のことはないほどになった
夢みるだけになってしまった
というほどの意味でしょうか。
恋愛詩と恋愛を対比していることに
注目しておきましょう
中也らしいひねりです
3の章は、2を受けて
それは、ぼくの堕落なんだろうか
ぼくに分かるわけがない
腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ
腕の中でたるんでいるぼくの怠惰よ
今日も日は照って、空は青いよ
ここに、中也詩が動き出します
中也の詩は
こんなふうに歌われて
人を惹きつけます
怠惰のお陰で
日は照って、空は青いよ青いよ
と、怠惰に面と向かう詩人が
怠惰の役割みたいなことをうたうのです
怠惰とは……
それこそ、詩人が格闘してきた
主題のようなものです
おれが(「ぼく」ではなくなります)
なんとか付き合ってこられたのは
この怠惰だけだったかもしれない
怠惰こそ、まじめな希望を、
その中にいるからこそ、
憧憬することを可能にした
元だったのかもしれない
ああ、怠惰よ
それにしてもおれは
夢みるだけの男になろうとは思いもしなかった!
肯定の後に
すぐさま否定が入ります
4章
しかし、この世の善とか悪だとか
そんなこと人間には分かりはしない
人間には分からない
無数の理由があれもこれもを支配している
分かるわけがないのだ
山陰の清水のように忍耐深く
静かにしていれば人生は楽しいだけのものなのだ
汽車から見える山、草
空、川……
みんなみんな
やがて、全体の調和のために溶けて
空に昇って、虹になるんだろう、とぼくは思う……
5の章
さてどうしたら利益が出るだろうか、とか
どうしたら笑われないで済むだろうか、とか
要するに、人相手の思惑に
明け暮れ過す、世間の人々よ、
ぼくは、あなたがたのこころをもっともなことだと感じ
一生懸命、郷に入りては郷に従えの習い通りにしてみたのだが
今日になってまた自分に戻ることにした
ひっぱったゴムを手離してパチンとするようにして
この怠惰の窓の中から
扇の形に、守備範囲を広くして、
青空を喫い、ひまを呑み
蛙のように、水に浮かんで
ここはダダというより
ダダではなく
煙草をふかして
ひまな時間を費やし
蛙が、水に浮かんで、無為に過している、
かのような詩人の時間を
比喩しているのでしょう
夜にもなれば、星を見て
ああ、空の奥の奥を思っている
ぼく、詩人……です。
6の最終章
しかし
またこうしたぼくの状態が続くと
ぼくだって何か人がするようなことをしなければいけないと思い、
生きていることが辛気くさく感じ、
ともすれば、百貨店のお買い上げ商品配達人さえもを驚きの目で見る
そして
理屈はいつでもはっきりしているのに
気持ちの底では、ゴミゴミゴミゴミ
グチャグチャグチャグチャと
懐疑の屑で一杯なのですよ
それが馬鹿げたことだとしても、
その二つが ぼくの中にあって、
ぼくから抜けていかないことは確かなことです。
二つ、とは
詩人の内部や外部で矛盾し
二律背反し
どっちともとれない
二つのこと
ここでは
対人関係を保つために
常識的にいきること、と
その逆に 蛙のように
ただ水に浮かんでいるように生きること
この二つ。
すると、時に聞こえてくる音楽に心は引かれ
ちょっとは生き生きしてくるのですが
その時、その二つは、ぼくの中では死にますが……
ああ、空の歌とか、海の歌とか、
ぼくは、美というものの核心を知っていると思うのですが
それにしても、辛いことです、
怠惰をのがれる術を持っていないのですよ!
怠惰に身を置かなければ
詩は生まれない
そのジレンマから
逃れられない苦しみ、焦り。
*
憔悴
Pour tout homme, il vient une èpoque
où l'homme languit. ―Proverbe.
Il faut d'abord avoir soif……
――Cathèrine de Mèdicis.
私はも早、善い意志をもつては目覚めなかつた
起きれば愁(うれ)はしい 平常(いつも)のおもひ
私は、悪い意志をもつてゆめみた……
(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、
其処を抜け出すことも叶(かな)はなかつた)
そして、夜が来ると私は思ふのだつた、
此の世は、海のやうなものであると。
私はすこししけてゐる宵の海をおもつた
其処を、やつれた顔の船頭は
おぼつかない手で漕ぎながら
獲物があるかあるまいことか
水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく
2
昔 私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと
今私は恋愛詩を詠み
甲斐あることに思ふのだ
だがまだ今でもともすると
恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい
その心が間違つてゐるかゐないか知らないが
とにかくさういふ心が残つてをり
それは時々私をいらだて
とんだ希望を起させる
昔私は思つてゐたものだつた
恋愛詩なぞ愚劣なものだと
けれどもいまでは恋愛を
ゆめみるほかに能がない
3
それが私の堕落かどうか
どうして私に知れようものか
腕にたるむだ私の怠惰
今日も日が照る 空は青いよ
ひよつとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだつたかもしれぬ
真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬(しようけい)したのにすぎなかつたかもしれぬ
あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!
4
しかし此の世の善だの悪だの
容易に人間に分りはせぬ
人間に分らない無数の理由が
あれをもこれをも支配してゐるのだ
山蔭の清水(しみづ)のやうに忍耐ぶかく
つぐむでゐれば愉(たの)しいだけだ
汽車からみえる 山も 草も
空も 川も みんなみんな
やがては全体の調和に溶けて
空に昇つて 虹となるのだらうとおもふ……
5
さてどうすれば利するだらうか、とか
どうすれば哂(わら)はれないですむだらうか、とかと
要するに人を相手の思惑に
明けくれすぐす、世の人々よ、
僕はあなたがたの心も尤(もつと)もと感じ
一生懸命郷(がう)に従つてもみたのだが
今日また自分に帰るのだ
ひつぱつたゴムを手離したやうに
さうしてこの怠惰の窗(まど)の中から
扇のかたちに食指をひろげ
青空を喫(す)ふ 閑(ひま)を嚥(の)む
蛙さながら水に泛(うか)んで
夜(よる)は夜(よる)とて星をみる
あゝ 空の奥、空の奥。
6
しかし またかうした僕の状態がつづき、
僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、
自分の生存をしんきくさく感じ、
ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。
そして理窟はいつでもはつきりしてゐるのに
気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑(をくづ)が一杯です。
それがばかげてゐるにしても、その二つつが
僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。
と、聞えてくる音楽には心惹かれ、
ちよつとは生き生きしもするのですが、
その時その二つつは僕の中に死んで、
あゝ 空の歌、海の歌、
ぼくは美の、核心を知つてゐるとおもふのですが
それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*ローマ数字を、アラビア数字に変えました。(編者)
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