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2008年8月 7日 (木)

つみびとの歌/愛という名の支配

献呈詩が続きます。
今度は、阿部六郎へ捧げます。

「三太郎の日記」で有名な
と言っても、2008年の今、
知る人は少ない
阿部次郎という哲学者の弟の六郎へ。

六郎は、同人誌「白痴群」のメンバーで、
大岡昇平のいう成城グループの一人です。

ぼくの生涯は
下手くそな植木師たちに
若いうちから、手を入れられ、
剪定されてしまった悲しさでいっぱい!

というわけで
ぼくの血の大部分は
頭にのぼり、煮え返り、たぎり、泡立つ

そういう方向に消費されます

落ち着きがなく
焦ってばかりで
いつも外界に色々なことの答えを見い出そうとする

その行動は愚かなことばかり
その考えはだれの考えとも分かち合うことができない

こうして、この可愛そうな木は
粗くて硬い樹皮を、空と風に剥き出しにして
心はいつも、惜しがっている

怠けていて、一貫した行いが出来ず
人には弱々しく、へつらい
こうして、自分で思ったこともない愚行を仕出かしてしまう

昭和3年(1928年)、父謙助が亡くなります
中也は、父の溺愛を受け育ちました
今様に言えば、愛という名の支配。
訃報を聞いた中也は、
母フクに「帰らないでいい」と助言され
葬儀のためには帰郷しませんでした

下手くそな植木師たちの筆頭に、
父謙助の名があげられます

でも、植木師は一人ではありません
複数の植木師がいたのです

「キミのためを思って言うんだよ」
といった類の助言、忠告……は
中也を窒息させるものでした

阿部六郎よ
キミはこのことを理解するだろう
詩人は、そう感じていたに違いありません



つみびとの歌
     阿部六郎に

わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地に、
つねに外界に索(もと)めんとする。
その行ひは愚かで、
その考へは分ち難い。

かくてこのあはれなる木は、
粗硬な樹皮を、空と風とに、
心はたえず、追惜のおもひに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草をもち、
人にむかつては心弱く、諂(へつら)ひがちに、かくて
われにもない、愚事のかぎりを仕出来(しでか)してしまふ。

*懶懦 なまけもので気の弱いこと。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

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