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2008年8月 9日 (土)

我が祈り/小林秀雄に捧げる

ここで少し回り道をして
小林秀雄への献呈詩を
読んでおきます。

この詩に付せられた
1929.12.12という日時は
小林秀雄が長谷川泰子から去った
1928年5月から
1年半ほど経過していることになります。

神に向かって
奸策に満ちた人の世を嘆き……

人の世の奸策の網の目が
壊れた時の乱雑の中では
何も知らない振りをして生きている
と、まずは、告白し

そんなところに立っている私は
もう歌うことも叫ぶこともせず
(音楽家のようにも、運動家のようにもしない)
描いたり説明したりもしない
(画家のようにも、教師のようにもしない)

しかし、神よ!
あなたのお恵みがあった時には
やさしく美しい夜の歌を歌います
櫂歌を歌います
と宣言します。

このように
詩人のなすべきこと
詩人の志を
表明しています

夜の歌
苦しい人々への歌、悲しい人たちへの歌、か。

櫂歌
働く人が、仕事をしながら口ずさむ歌、労働歌、か。

恋人を奪った(と中也が思っていた)小林秀雄
文学のライバルである小林秀雄
師友である小林秀雄

その小林秀雄へ捧げた作品です。


この詩は、「白痴群」第5号(1930年1月)に
掲載されましたが、「山羊の歌」や「在りし日の歌」には入っていません。

 *
 我が祈り
     小林秀雄に

神よ、私は俗人の奸策(かんさく)ともない奸策が
いかに細き糸目もて編みなされるかを知ってをります。
神よ、しかしそれがよく編みなされてゐればゐる程、
破れる時には却(かえつ)て速かに乱雑することを知ってをります。

神よ、私は人の世の事業が
いかに微細に織られるかを心理的にも知つてをります。
しかし私はそれらのことを、
一(ひとつ)も知らないかの如く生きてをります。

私は此所(ここ)に立つてをります!……
私はもはや歌はうとも叫ばうとも、
描かうとも説明しようとも致しません!

しかし、噫(ああ)! やがてお恵みが下ります時には、
やさしくうつくしい夜の歌と
櫂歌(かいうた)とをうたはうと思つてをります……

                   (1929.12.12)
           「白痴群」第5号 1930年1月)
* 奸策 悪巧み。
* 櫂歌 船頭が舟を漕ぐ時にうたう歌。

(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)

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