更くる夜/内海誓一郎に捧げる
特定の個人に贈る詩を
献呈詩などと言ったり
誰それに捧ぐ、捧げる、とか
Dedicated to~
Devoted to ~などと
付記することがあります。
「山羊の歌」には、すでに
「ためいき」が、河上徹太郎への献呈詩でしたから
この「更くる夜」は2番目になり
内海誓一郎へ献呈されています。
この詩は
「白痴群」第6号に載りました。
恋愛詩が続く中
女にうつつを抜かしているばかりじゃないぜ
とでも言わんばかりです。
内海誓一郎は、
音楽集団「スルヤ」のメンバーで
「白痴群」の同人にもなった人物ですし、
何よりも記憶されなけれならないのは
中原中也の詩「帰郷」「失せし希望」に
曲をつけた音楽家であるという一事です。
この曲は
昭和5年(1930年)5月の「スルヤ」発表会で歌われました。
中也の喜びを想像するのは
難しいことではありません。
献呈には、感謝の意味が込められています。
そんなことを知りながら
詩を読んでいくと……
毎夜、深夜に、湯屋で水を使う音が聞こえてくる
湯屋とは銭湯のことです。
銭湯は深夜には営業を終えているはずですから
終業の掃除か、店の者だかが入浴しているのか……
排水溝のほうから湯気があがり
その向こうの夜空は真っ黒な闇が広がる
武蔵野の風景
月が輝いて
犬の遠吠えが聞こえてくる
その頃になるときまって
ぼくは囲炉裏の前で
あえかな、弱々しい、
うっすらとした夢を見るのです
今になっては、欠けてしまって完全ではないのだけれど
やさしい心がまだあって
こんな夜にそれがだんだん膨らんできて
つぶやきはじめるのに
ぼくは感謝に満ちた気持ちで聞き入ります
昭和初期の東京の
杉並とか中野とか世田谷とか渋谷とか
それらはみんな武蔵野の一角でしたから
これも特定する必要はありません
囲炉裏があったか
たとえば昔の火鉢は
四角い、小さな囲炉裏のようでしたから
それを詩人は使っていたのかもしれません
酒を飲んでいる風にも見えず
創作に向かうひとときか、合間か
しみじみと思いに耽る
詩人
*
更くる夜
内海誓一郎に
毎晩々々、夜が更(ふ)けると、近所の湯屋の
水汲む音がきこえます。
流された残り湯が湯気となつて立ち、
昔ながらの真つ黒い武蔵野の夜です。
おつとり霧も立罩(たちこ)めて
その上に月が明るみます、
と、犬の遠吠がします。
その頃です、僕が囲炉裏(ゐろり)の前で、
あえかな夢をみますのは。
随分……今では損はれてはゐるものの
今でもやさしい心があつて、
こんな晩ではそれが徐(しづ)かに呟きだすのを、
感謝にみちて聴きいるのです、
感謝にみちて聴きいるのです。
(佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』角川文庫クラシックスより)
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