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2008年8月31日 (日)

後記2/さらば東京さらば青春

20080831_058

 

さらば東京! おゝわが青春!

 

と、後記に記して、
いったんは、故郷に帰り、
「詩生活に沈潜しよう」とした
詩人の未来は
茫洋ボーヨーとしたものではあっても
死を予感していたもの
ではありませんでした。

 

そうであるにもかかわらず
詩人は、あっという間に、死んでしまいます。

 

「在りし日の歌」の「在りし日」とは
一般に、死者の生前の写真を
「在りし日のAさん」などと
説明するときに使われる、
その、「在りし日」です。

 

ですから
詩集のタイトルに接した人は
詩人は、死を予感していた、
などという憶説を弄ぶことにもなります。
これは、間違いです。

 

後記には
死の予感の気配もないことを
読み取ったほうがよいでしょう。

 

このことに付け加えて、
詩集には
「亡き児文也の霊に捧ぐ」と献辞があり、
「在りし日」は、
「文也の在りし日」の意味が
込められていることを知らなければなりません。

 

これは、文也の「在りし日」の意味が
込められていることではあれ、
詩人自らの死の意味が込められていたもの
ではないことを示しています。

 

死や死後や
幽霊や亡霊や亡き児や
骨や……は、
中原中也の詩世界の
主要なテーマではあります。

 

「倦怠のうちに死を夢む」と
「汚れつちまつた悲しみに」で歌った「死」は
詩人の肉体の死とイコールではありません。

 

と、以上のように
論理的に、話を進めていっても
捉えきれない謎が
中也の詩には散らばっています。

 

断定を急がずに
分からないものは分からないままに
詩句を頭に刻み
いつか、謎が解ける時が来るのを待つ
という方法も
詩の読み方です。

 

それにしても
さらば東京! おゝわが青春!
には、
無理強いの元気よさはなく
悲痛な響きすらある感じがしますが
どうでしょうか。

 

後記を
ここに、再び、載せておきます。

 

 *
 後記

 

 茲(ここ)に収めたのは、『山羊の歌』以後に発表したものの過半数である。作つたのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序(つい)でだから云ふが、『山羊の歌』には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収めた。
 詩を作りさへすればそれで詩生活といふことが出来れば、私の詩生活も既(すで)に二十三年を経た。もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。
 長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸思つてみるだけでもゾッとする程だ。私は何にも、だから語らうとは思はない。たゞ私は、私の個性が詩に最も適することを、確実に確かめた日から詩を本職としたのであつたことだけを、ともかくも云つておきたい。
 私は今、此の詩集の原稿を纏め、友人小林秀雄に托し、東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる。
 扨(さて)、此の後どうなることか……それを思へば茫洋とする。
 さらば東京! おゝわが青春!
                           〔一九三七、九、二三〕

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。(編者)

 

 

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