カテゴリー

2023年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« いのちの声再その1 | トップページ | 後記/詩人生活15年 »

2008年8月24日 (日)

いのちの声再その2

20080721_024

改めて、読んでみて
この詩への力のこもり方に
他の詩とは異なる重さがあるような
力み(りきみ)すら感じられますが
力んで当然とも思えます。

処女詩集の
掉尾(とうび)を飾る作品なのですから。

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

この1行は
いろいろなところで紹介され
中原中也という詩人の
作品の基底を流れ
生き方の根本を形づくっている
目標であり理想であり
コンセプト(考え)であることを知ります

感じることは
そう簡単なことではなく
感じられなかったために
詩人は
自分を責め
感じないものを攻めました。

ぼくはバッハもモーツアルトも、
ジャズにもうんざりしちゃった
雨上がりの曇り空の下の
鉄橋のように
動じず頑強に生きている

不平一つ言うでもなく
じっとして生きていることを
雨上がりの、曇り空の下の鉄橋
と、表現したのでしょう

雨降って
地固まる、と少し似ているかな
地に対比される鉄橋は
その内部を、
手に負え難い寂寥に襲われている

そんなぼくに絶え間なく押し寄せている
寂漠とした気持ちを
キミにも分かってほしいものだ。

じっとしているけれど
内実はこんなものなのだ、と
告白するかのようです

寂漠は、「羊の歌」第4章の
「酷薄の、これな寂莫にほとぶなり……」の
「寂莫」と同じものでしょうか。
「しじま」と読ませていましたが
英語のサイレンスSilenceに
「寂」が加わっているところに中也がいます。

ぼくは、その寂漠の気持ちの中に沈静しているわけじゃない
いつも何かを求めている
恐ろしく形のない不動のものの中にだが、
大変な焦りをも抱いている
そのために、もはや食欲も性欲もないのと同じだ

その何かは、何であるかは分からない
いままで一度も分かったためしがない
それは、二つあるとも思えない
たった一つのことであろうとは思う

しかし、何であるかは分からない
一度とて分かったことはない
その何かに行き着くまでの
一か八かの賭けをやってみても
完全に分かったということはない

時には、ぼく自身をからかうように
自分に聞いてみる
それは女か、甘いものか、栄誉か、と。

すると、心は叫ぶ
それでもない
あれでもない
これでもない

それでは、空の歌か
朝、高い空に、鳴り響く
空の歌とでもいうのだろうか

第1の章はここで終わり
第2の章へ入ります
起承転結の承で
第1章を受け
さらに突っ込んで
何かについての思索が続けられます

いや、あれこれとははっきりと言えないものだ!
手短に、時には、説明したくなるものではあるけれど
説明など出来ないものであるからこそ
ぼくの人生は生きるに値するんだ、と信じる
それが現実というものだ!
汚れのない幸福というものだ!
現れているものは現れたままによいものであるということだ!

人は皆、知っている知っていないに関係なく
そのことを希望していて
勝ったり敗れたりすることに敏感であるだけの間は
知ることができないものであって
それは、だれでも知っている
放心の快感というものであって
だれもが望み
誰もが、この世に生きている限りは
完全には望み得ないもの!

ここで
一言で言うことができない何かについて
角度を変えての追究。
幸福論が少し持ち出されます

しかし、幸福というものが
このように無私の領域にあるものであり
あの、賢い商人から見れば、アホとでも呼ぶべきものであれば
飯を食わなければ生きていけない現実世界は
不公平なもであるなあ、と言わねばならない

だけど、それがこの世というもので
その中にぼくたちは生きているのであって
だから、不公平といっても任意の不公平ではなく
それによって、ぼくたち自身も構成されているのだから
この世に、それほどの極端はない、と
ひとまずは、ゆっくり休むというのもいいだろう

第3章へはいります。
起承転結の転です。

そうであるならば、要は、
熱情の問題ということになるのだ。

なんじ。キミよ!
心の底から腹が立つなら
怒れ! 怒れ!

そうは言っても
怒ることは
キミの最終目標の前にあるものであれよ
このことは決して忘れてはいけない

なぜなら熱情というものは、一時は続くけれど
やがて、止んでしまう
その社会的効果だけは続くものだから
キミの次の行為への転換の障害になることがあるから。

第4章
ついに、たどりつきます。
これが、言いたかった

ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

感じろよ
感じろよ

つべこべ言わずに
感じよう

夕方の空の下で
この身一つ
全身に感じることができるなら
何の文句はない

そのように
詩人は生きるものと思うのです。

 *

 いのちの声

もろもろの業(わざ)、太陽のもとにては蒼ざめたるかな。
――ソロモン

僕はもうバッハにもモツアルトにも倦果てた。
あの幸福な、お調子者のヂャズにもすっかり倦果てた。
僕は雨上がりの曇つた空の下の鉄橋のやうに生きてゐる。
僕に押し寄せてゐるものは、何時でもそれは寂漠だ。

僕はその寂漠の中にすつかり沈静してゐるわけでもない。
僕は何かを求めている、絶えず何かを求めてゐる。
恐ろしく不動の形の中にだが、また恐ろしく憔(じ)れてゐる。
そのためにははや、食慾も性慾もあつてなきが如くでさへある。

しかし、それが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それが二つあるとは思へない、ただ一つであるとは思ふ。
しかしそれが何かは分らない、つひぞ分つたためしはない。
それに行き著(つ)く一か八かの方途さへ、悉皆(すつかり)分つたためしはない。

時に自分を揶揄(からか)ふやうに、僕は自分に訊(き)いてみるのだ、
それは女か? 甘(うま)いものか? それは栄誉か?
すると心は叫ぶのだ、あれでもない、これでもない、あれでもないこれでもない!
それでは空の歌、朝、高空に、鳴響く空の歌とでもいふのであらうか?

  Ⅱ
否何(いづ)れとさへそれはいふことの出来ぬもの!
手短かに、時に説明したくなるとはいふものの、
説明なぞ出来ぬものでこそあれ、我が生は生くるに値するものと信ずる
それよ現実! 汚れなき幸福! あらはるものはあらはるまゝによいといふこと!

人は皆、知ると知らぬに拘(かかは)らず、そのことを希望しており、
勝敗に心覚(さと)き程は知るによしないものであれ、
それは誰も知る、放心の快感に似て、誰もが望み
誰もがこの世にある限り、完全には望み得ないもの!

併(しか)し幸福というものが、このやうに無私の境(さかひ)のものであり、
かの慧敏(けいびん)なる商人の、称して阿呆(あほう)といふものであらう底のものとすれば、
めしをくはねば生きてゆかれぬ現身(うつしみ)の世は、
不公平なものであるよといはねばならぬ

だが、それが此(こ)の世といふものなんで、
其処(そこ)に我等は生きてをり、それは任意の不公平ではなく、
それに因(よつ)て我等自身も構成されたる原理であれば、
然(しか)らば、この世に極端はないとて、一先ず休心するもよからう。

  Ⅲ
されば要は、熱情の問題である。
汝、心の底より立腹せば
怒れよ!

さあれ、怒ることこそ
汝(な)が最後なる目標の前にであれ、
この言(こと)ゆめゆめおろそかにする勿(なか)れ。

そは、熱情はひととき持続し、やがて熄(や)むなるに、
その社会的効果は存続し、
汝(な)が次なる行為への転調の障(さまた)げとなるなれば。

  Ⅳ
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)
*同書でルビのふられた箇所は( )の中に表記しました。

« いのちの声再その1 | トップページ | 後記/詩人生活15年 »

0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いのちの声再その2:

« いのちの声再その1 | トップページ | 後記/詩人生活15年 »