後記/詩人生活15年
「山羊の歌」を読み終え、中原中也という詩人の魂に少しでも触れてしまった人は、いま、どのような気持ちを抱いていることでしょうか。
振り返って、あの詩がよかった、とか、あの、理解の届かなかった詩をもう一度読み直してみたい、とか、ここで少し間をおいて、じっくり味わい返しておきたい、などと、思いはさまざまであることでしょう。
その思いこそは、詩を読んだということの収穫というものであり、内実というものであり、読んだ人の心の中だとか、言葉の中だとか、さまざまな形で、血になったり、肉になったり、骨になったり……していることでしょう。そのことを想像するだけで、胸が広がる思いがします。
中也の詩作品は、「山羊の歌」「在りし日の歌」という公刊された詩集のほかに、詩誌や雑誌などに発表された作品(生前発表詩篇)や、原稿のまま残されていた未発表の作品や草稿(未発表詩篇)があります。これらを全部含めると、およそ300篇の詩の作品があり、「山羊の歌」は44篇、「在りし日の歌」は58篇ですから、全詩の約3割ほどしか読み終えていないことになります。
「山羊の歌」に3ヶ月かかりました。
サラリーマンが、仕事の合間を見つけて、少し努力して、このペースです。
というわけもありまして、
「在りし日の歌」を読み進んでいくことにします。
はじめに、中原中也が、後記に記した「自伝」をまず読んでおきましょう。
「もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。」と、詩人自らが言う「15年」を思ってみてください。幾分オーバーな言い方かも知れませんが、詩のことばかりを考えて15年、というのは、恐るべき、長い月日ではありませんか!
後記に記した日付の約1ヶ月後に、詩人は死んでしまいます。
*
後記
茲(ここ)に収めたのは、『山羊の歌』以後に発表したものの過半数である。作つたのは、最も古いのでは大正十四年のもの、最も新しいのでは昭和十二年のものがある。序(つい)でだから云ふが、『山羊の歌』には大正十三年春の作から昭和五年春迄のものを収めた。
詩を作りさへすればそれで詩生活といふことが出来れば、私の詩生活も既(すで)に二十三年を経た。もし詩を以て本職とする覚悟をした日からを詩生活と称すべきなら、十五年間の詩生活である。
長いといへば長い、短いといへば短いその年月の間に、私の感じたこと考へたことは尠(すくな)くない。今その概略を述べてみようかと、一寸思つてみるだけでもゾッとする程だ。私は何にも、だから語らうとは思はない。たゞ私は、私の個性が詩に最も適することを、確実に確かめた日から詩を本職としたのであつたことだけを、ともかくも云つておきたい。
私は今、此の詩集の原稿を纏め、友人小林秀雄に托し、東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる。
扨(さて)、此の後どうなることか……それを思へば茫洋とする。
さらば東京! おゝわが青春!
〔一九三七、九、二三〕
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。(編者)
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