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2008年8月13日 (水)

修羅街輓歌/関口隆克に捧ぐ

「中原中也全集」解説・詩Ⅰ(1967年10月)で
大岡昇平は、

(略)高森文夫の証言によれば最初に考えた題は
「修羅街輓歌」だったという。

と、「山羊の歌」という詩集名が、
はじめ「修羅街輓歌」だったことを
明らかにしています。

その詩にたどりつきました。
これも献呈されています。
相手は関口隆克です。

関口隆克は
後に、文部省大臣秘書課長を振り出しに
国立教育研究所長などを経て
開成学園中学、高校の校長となる人物で
1987年に亡くなります。

「広辞苑」の新村出、
ノーベル賞の朝永振一郎らとは
親戚関係にある名家の出身だそうです。

修羅は、
「春と修羅」の修羅らしいのですが
修羅街としたところが中也です。

宮沢賢治の影響を云々する評者が
影響だけをあげつらって
中也の独創に目を向けないのは
おかしい。

修羅街とは、東京のことでしょうか
その街への挽歌とは
そもそも逆説でありましょうか

それとも
あばよ!東京!
さよなら、グッバイ!
ストレートな
東京への離別宣言なんでしょうか。

「在りし日の歌」の
後記の最終行

さらば東京! おゝ わが青春!へと、

まっしぐらに連なる意識が
すでにここに胚胎(はいたい)している
と言えるのでしょうか。

いずれは
東京に別れを告げる詩人ですが
早くもこの時点での
挽歌です。

4連に分けられた第1は
「序の歌」

のっけから
激しく
暗い思い出が
消えてなくなることを望む
詩人の心情が吐き出されます。
なくなれ! と命令して
なくなるものではありませんが
命令するのです。

思い出したくもない
いまわしい思い出よ
消えてなくなれ!
そして、昔の
憐れみの感情と豊かな心よ
戻って来い!

こう思っている今日は
穏やかな日曜日です。
ときおり、少年時代が懐かしく
思い出されもするのです。

 今日は日曜日
 縁側には陽があたっている
 ――もう一度、母親に手を引かれて
   祭りへ行って風船を買ってもらいたい
   空は青く、すべてのものがまぶしく輝いていた
 あの日が無性に恋しい

  いまわしい思い出よ
  消えろ!
  消えろ!消えろ!

2は「酔生」と題されています。
ただちに「酔生夢死」という
四字熟語が浮かびます。
その「夢死」のほうが気になるのですが
題は「酔生」のほうが採られました。

僕の青春は過ぎていった
――おお、この、寒い朝の鶏の鳴き声よ
   しぼり出すような叫びよ

ほんとのこと
前後も省みず
がむしゃらに生きてきたものだ

僕はあまりにも陽気だった
――無邪気な戦士だったなあ、僕のこころよ

それにしても僕は憎む
上辺(うわべ)をとりつくろい
対外意識だけで生きている人々を。
――なんと逆説的な人生であることよ

いま、ここに傷つき果てて
――この、寒い朝の鶏鳴よ
   しぼり出すような叫びよ
おお、霜に凍えている鶏鳴よ……

3は「独語」

器の中の水が揺れないように
器を持ち運ぶことは重要であり
そうであるならば、
大きなモーションで運ぶがいい

しかしそうするために
もはや工夫することさえやめてしまうのは
いかんいかん

そんなふうになるんだったら
心よ
謙虚に神の恵みを待つがいい

4は、題なし。
文語調に転じます。

とてもとても淡い今日
雨がわびしげに降り注いでいる

雨蕭々と、は

「史記」「刺客列伝」の
風蕭々として易水寒し、
を意識しているのでしょうか

空気は水よりも淡く
どこからか林の香りがしてくる

ほんとに秋も深くなった今日は
石の響きのような
無機質な生気のない日になった

思い出さえもないのに
夢なんてあるものか

ほんとに僕は石のように
影のように生きてきた

何かを語ろうとしたときには言葉がなく
空のように果てしなく
とらえどころなく

悲しい僕の心よ
理由もなく拳をあげて
誰を責めようとするのか
ああ切ない切ない

 *

 修羅街輓歌
    関口隆克に

   序歌

忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!

  今日は日曜日
  縁側には陽が当る。
  ――もういつぺん母親に連れられて
  祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
  空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……

  忌はしい憶ひ出よ、
  去れ!
     去れ去れ!

  2 酔生

私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。

ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!

それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。

いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……

   3 独語

器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。

しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。

   4

いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。

げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。

まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。

それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。

*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』より)

*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)

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