曇った秋/即興的でダダな
詩集「山羊の歌」や「在りし日の歌」に
載せなかった詩のうち
雑誌などに公表したものを
「生前発表詩篇」といい
どこにも発表していない作品や草稿を
「未発表詩篇」といって
分類するのが慣わしです。
「曇天」を読んだ流れで
「未発表詩篇」の中の
「曇った秋」を読んでおきます。
長い作品です。
1935.10.5と、
制作日が作品の末尾に記されてあります。
「曇天」が1936年(昭和11年)の作と推定されていますから
それより1年前の作品らしい。
中也28歳。
力が抜けている
即興性を感じさせる
というものの
中也らしい、底のある
充実期の作品です。
曇り日というと
中也は秋を指し示している、と
これですべての曇り日が秋とは
いえないかもしれませんが
参考になることでしょう。
難解な語句はありませんので
載せておくだけにします。
どうぞ
声に出して読んでみることを
おすすめしますが
黙読でも構わないでしょう。
そういえば
一つだけ。
3の第2連第1行
今宵ランプはポトホト燻(かゞ)り、
この「ポトホト」は
「山羊の歌」の
冒頭の作品「春の日の夕暮」の
あの、だれでも知っている
「トタンがセンベイを食べて
春の夕暮は穏かです」にはじまる詩の
第3連第1行の
「ポトホトと野の中に伽藍は紅く」と出てくる
あれです。
ダダイズムが
健在ということでもあります。
*
曇つた秋
1
或る日君は僕を見て嗤(わら)ふだらう、
あんまり蒼い顔してゐるとて、
十一月の風に吹かれてゐる、無花果(いちじく)の葉かなんかのやうだ、
棄(す)てられた犬のやうだとて。
まことにそれはそのやうであり、
犬よりもみじめであるかも知れぬのであり
僕自身時折はそのやうに思つて
僕自身悲しんだことかも知れない
それなのに君はまた思ひ出すだらう
僕のゐない時、僕のもう地上にゐない日に、
あいつあの時あの道のあの箇所で
蒼い顔して、無花果の葉のやうに風に吹かれて、――冷たい午後だつた――
しよんぼりとして、犬のやうに捨てられてゐたと。
2
猫が鳴いてゐた、みんなが寝静まると、
隣りの空地で、そこの暗がりで、
まことに緊密でゆつたりと細い声で、
ゆつたりと細い声で闇の中で鳴いてゐた。
あのやうにゆつたりと今宵一夜(ひとよ)を
鳴いて明(あか)さうといふのであれば
さぞや緊密な心を抱いて
猫は生存してゐるのであらう……
あのやうに悲しげに憧れに充ちて
今宵ああして鳴いてゐるのであれば
なんだか私の生きてゐるといふことも
まんざら無意味ではなささうに思へる……
猫は空地の雑草の陰で、
多分は石ころを足に感じ、
霧の降る夜を鳴いてゐた――
3
君のそのパイプの、
汚れ方だの燋(こ)げ方だの、
僕はいやほどよく知つてるが、
気味の悪い程鮮明に、僕はそいつを知つてるのだが……
今宵ランプはポトホト燻(かゞ)り、
君と僕との影は床(ゆか)に
或ひは壁にぼんやりと落ち、
遠い電車の音は聞こえる
君のそのパイプの、
汚れ方だの燋(こ)げ方だの、
僕は実によく知つてるが、
それが永劫(えいごふ)の時間の中では、どういふことになるのかねえ?……
今宵私の命はかゞり
君と僕との命はかゞり
僕等の命も煙草のやうに
どんどん燃えてゆくとしきや思へない
まことに印象の鮮明といふこと
我等の記臆、謂はば我々の命の足跡が
あんまりまざまざとしてゐるといふことは
いつたいどういふことなのであらうか
今宵ランプはポトホト燻り、
君と僕との影は床に
或ひは壁にぼんやりと落ち、
遠い電車の音は聞える
どうにも方途がつかない時は
締めることが男々しいことになる
ところで方途が絶対につかないと
思はれることは、まづ皆無
そこで命はポトホトかゞり
君と僕の命はかゞり
僕等の命も煙草のやうに
どんどん燃えるとしきや思へない
コホロギガ、ナイテ、ヰマス
シウシン ラッパガ、ナツテ、ヰマス
デンシヤハ、マダマダ、ウゴイテ、ヰマス
クサキモ、ネムル、ウシミツドキデス
イイエ、マダデス、ウシミツドキハ
コレカラ、ニジカン、タツテカラデス
ソレデハ、ボーヤハ、マダオキテヰテイイデスカ
イイエ、ボーヤハ、ハヤクネルノデス
ネテカラ、ソレカラ、オキテモイイデスカ
アサガキタナラ、オキテモイイデス
アサハ、ドーシテ、コサセルノデスカ
アサハ、アサノホーデ、ヤツテキマス
ドコカラ、ドーシテ、ヤツテクル、ノデスカ
オカホヲ、アラツテ、デテクル、ノデス
ソレハ、アシタノ、コトデスカ
ソレガ、アシタノ、アサノ、コトデス
イマハ、コホロギ、ナイテ、ヰマスネ
ソレカラ、ラッパモ、ナツテ、ヰマスネ
デンシヤハ、マダマダ、ウゴイテ、ヰマス
ウシミツドキハ、マダナイノデスネ
ヲハリ
(一九三五・一〇・五)
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編
「中原中也詩集『在りし日の歌』未発表詩篇より」)
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