一つのメルヘン/サラサラの謎
秋の夜なのに
陽が射している
そのうえ
蝶さえ飛んできた
小石しか見当たらない河原。
さらさらと射す
という不思議な詩句
さらさら、は
普通なら
粉のようなもの
砂のようなものの
乾いたイメージを表す
擬音語なのに
太陽の光の降り注ぐ様を
さらさら射す、と
言い表す。
光がさらさら
音がさらさら
水がさらさら
不思議な詩です。
いつ読んでも
新鮮な気持ちになり
洗われるのは
なぜだろう。
ひょっとして
死のイメージの
安らかさが
よぎるからだろうか。
小石ばかりの、河原があつて、
……の1行が喚起する
生物のいない河原のイメージはなんだ。
陽が硅石のようでもあり
個体の粉末のようでもあり
……
そこへ、1匹の蝶が
飛んできて起こる
革命!
河原が息を吹き返します。
大岡昇平のいう
「異教的な天地創造神話」とまでは
思い及ばない。
いつしか、
それまで流れていなかった
川の水が流れ出し
こんどは
その水が
さらさらと流れるきっかけには
一匹の蝶が
どこからともなくやってきて
どこへともなく飛んで行く
というのは
やはりメルヘン……。
ほかにも
いくつかの謎があります。
その謎を謎としても
味わいたいものです。
*
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
*硅石 石英・水晶など珪素の化合物からなる鉱物。ガラスや陶磁器の原料となる。
*個体 「固体」と同じ意味で用いられている。初出「文芸汎論」1936年1月号でも「個体」。中原中也が常用した字のひとつ。
角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。(編者)
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