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2008年9月15日 (月)

蜻蛉に寄す/詩人のためいき

詩集「在りし日の歌」は
前3分の2ほど、42篇を「在りし日の歌」
残り3分の1ほど、16篇を「永訣の秋」に分けています。
「蜻蛉に寄す」は、42番目の作品です
つまり、「在りし日の歌」の最後に置かれ
次から「永訣の秋」に入る
いわば、けじめの歌です。

 

「むらさき」という女性向けの教養雑誌に初出、
この雑誌は、紫式部学会の編集、
制作は、昭和11年(1936)8月頃か、
と「中原中也必携」(吉田熈生編)は記している。

 

「秋」を拾っているうちに
前回読んだ「残暑」との相似に気付きます。
職業詩人であることの自覚が
中也の中に芽生えたのでありましょう。

 

この作も、気のせいか、どこかしら、
女性読者を意識しているように
感じられるのです。
どこそこと指摘できませんが、
平易平明な言葉使い、
流麗感のある七五調。

 

それ以外の詩法はない
シンプルさ、やわらかさ。

 

詩は
夕日の中に赤トンボが群れ飛ぶ
向こうのほうに工場の煙突が見える野原で
大きなため息をついた僕が
石を拾って放り投げ
草を抜く、
それだけの描写に終始します。

 

「残暑」よりも、いっそう
単純です。

 

大きな溜息 一つついて
僕は蹲(しやが)んで 石を拾ふ

 

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく

 

敢えて絞り込んで言えば
2連後半2行
4連前半2行
ここが考えどころです。

 

詩人はなぜため息をついたのだろうか
草が萎えていくから、どうしたというのか

 

このあたりを考えれば
この詩に触れることができそうですが……。

 

ため息をついて
しゃがんで石を拾い
その石が手の中であたたまると
それを放り捨てる
という一連の行為は
どんなことのメタファーであるのか

 

夕日を浴びている草を抜き
その抜かれた草が
ほのかに萎えていく
という一連の行為と状態の流れは
何のメタファーであるのか

 

このあたりを考えていくと
平易な詩句が孕む
深みが見えてきて
ハッとします。

 

 *
 蜻蛉に寄す

 

あんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡(あは)い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる

 

遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲(しやが)んで 石を拾ふ

 

その石くれの 冷たさが
漸く手中(しゆちゆう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く

 

抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく
遠くに工場の 煙突は 
夕陽に霞(かす)んで みえてゐる

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

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