カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 蜻蛉に寄す/詩人のためいき | トップページ | 独身者その2/物語のはじまり »

2008年9月18日 (木)

独身者/小さな石鹸 カタカタ鳴った♪

20080103_075

 

 

 

読んで
これはいい詩だなあ、と思うのですが
意味や内容を隅々まで理解できているかわからない
論理的に、
これはこうで、あれはあれで、
ここはこうなっているから、こっちはこうでなければ、などと
把握しきったとは言えない。

 

39番「独身者」は
このような感想を抱かせる
知られざる傑作の類に
入る作品ではないでしょうか。

 

まったく唐突に
南こうせつの歌う「神田川」を
思い出させられましたのは、
小さな石鹸 カタカタ鳴った♪
というフレーズがかぶさってきたからです。

 

「神田川」は
1970年代の若いカップルの物語で
「独身者」には、パートナーはいません。
でも、どこか重なるところがあるのは
大原女という女性が登場し、
この女性をパートナーと擬することが可能です

 

独身者とは、中也自身のことでしょう。
この詩が制作された昭和11年4月に
中也は結婚していましたが
詩人である自分を、
独身者=どくしんものに見立てたのです。
独身者は、詩人という存在のメタファーです。

 

では、第1連2、3行目

 

郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おほはらめ)が一人歩いてゐた

 

とある、
郊外と、市街を限る路とは、何を意味しているのでしょうか
大原女は、文字通りの大原女と受け取ってよいのでしょうか
こ2行によって、指し示されたメタファーはどんなことでしょうか

 

ここで読む人の想像や推理や創作によって
詩は無限の展開をみせるはずです

 

3連は、
独身者が
昼下がりの銭湯から出てくると
郊外と市街の境界になっている道を
大原女が歩いている、のを見た

 

というこの詩の物語のリフレインですが
やはり、ここに何が込められているか
あれやこれや
考えたり、首をひねったり
合点したり、一人ほくそ笑んだり、

 

そうして
詩人が、二者択一を迫られて
どうしようにもなく崖っぷちに立っているような
切羽詰った感じがある……
という解に辿り着いたところで
この詩のエキスの部分は読み終えた
と、しておきましょう、ひとまず。

 

 *
 独身者

 

石鹸箱(せつけんばこ)には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おほはらめ)が一人歩いてゐた

 

――彼は独身者(どくしんもの)であつた
彼は極度の近眼であつた
彼はよそゆきを普段に着てゐた
判屋奉公したこともあつた

 

今しも彼が湯屋から出て来る
薄日の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いてゐた

 

*大原女 大原近辺から京都市中に、薪や花などを頭にのせて売りにくる女性。
*判屋奉公 「判屋」は、はんこ屋のことか。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

« 蜻蛉に寄す/詩人のためいき | トップページ | 独身者その2/物語のはじまり »

0001はじめての中原中也」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 独身者/小さな石鹸 カタカタ鳴った♪:

« 蜻蛉に寄す/詩人のためいき | トップページ | 独身者その2/物語のはじまり »