独身者その2/物語のはじまり
中原中也の詩作品「独身者」と
南こうせつらかぐや姫が歌った
ヒット曲「神田川」(作詞は、喜多條忠)の詞の
類似性を言うつもりはありません。
ふと、思い出しただけで、
両者はまったく異なる世界を歌っています。
しかし、
銭湯というシチュエーションと
石鹸箱……と、聞いただけで
両者は、ひどく、近しい世界である、
とは言えるのではないでしょうか。
「独身者」という詩の
極度な近眼の彼とは、
来る日も来る日も
詩の勉強にいそしんだ詩人。
よそゆきの服を普段着にしている彼も、
中原中也その人である詩人。
「判屋奉公」の経験のある彼も、
苦労を人一倍してきた詩人。
そのような独身の男の物語で、
物語は、まだ、はじまっていないのですが
詩人は、これから、
どのような物語を演じていくべきかを
自ら問いかけている詩です。
結婚のことを考えているのかもしれません
パートナーは大原女のようでありたい、
と願っているのかもしれません。
まったく違うことを考えているのかもしれません。
詩人が大原女に何を見立てたのか……
この詩の最大のポイントですが
断定できる何ものもありません。
京都に住んだことのある詩人の
なんらかの経験につながっていることは
間違いなさそうですが
なにがしか「女性」のメタファーではありそうです。
いま、大原女は
郊外と市街の境の道を歩いているのですが
銭湯のある市街のほうへ来るのか
詩人が郊外のほうへ向かったほうがよいのか
詩人の生活の拠点は
市街がよいのか
郊外がよいのか
あれやこれや
考えている
そこに
持っている石鹸箱が
カタカタと鳴り
秋風が吹いている
どっちのほうへ行くのかなあ
大原女は……
どっちのほうへ行けばいいのかなあ
彼=詩人=僕は……
この二者択一は
詩人が取らねばならない
のっぴきならない選択で
崖っぷちに立っているような
切羽詰った感じがあるのですが……
だれも答えてくれるものなぞ
あるわけはなく
カタカタと石鹸箱は鳴り
秋風が吹いているばかりです。
*
独身者
石鹸箱(せつけんばこ)には秋風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女(おほはらめ)が一人歩いてゐた
――彼は独身者(どくしんもの)であつた
彼は極度の近眼であつた
彼はよそゆきを普段に着てゐた
判屋奉公したこともあつた
今しも彼が湯屋から出て来る
薄日の射してる午後の三時
石鹸箱には風が吹き
郊外と、市街を限る路の上には
大原女が一人歩いてゐた
*大原女 大原近辺から京都市中に、薪や花などを頭にのせて売りにくる女性。
*判屋奉公 「判屋」は、はんこ屋のことか。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。
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