曇天/黒い旗ひとり
秋は、秋晴れが素晴らしいが
雨日も多く
9月の降雨量は6月を凌ぐ
野分もあれば
曇天の日も続くことがある。
意外に、荒れた天候こそ秋らしい。
41番の「曇天」も
ちょうど今頃の、
2008年9月
何日も何日も続いている曇り日を
思わせます。
晴れることのない
明るい曇り空は
かといって
雨に向かうのでもなく
暑くもなければ
寒くもない
爽やか、と言えるほどでもない
おだやかな日です。
そのような曇天の朝の空に
詩人は黒い旗を見ます。
旗は、はたはたと
はためいているのに
はたはたという音が聞こえないのは
旗が観念の旗だからでしょうか。
いいえ、そうではなく
旗は高いところにあって
確かに、そこにある空に
はためいているのに
僕以外のだれにも聞こえないのです。
手繰り寄せて
引きおろそうと僕はしましたが
綱でもなければ、下ろせるわけもなく
依然として、旗ははためいているばかり
空の奥の方で、舞うがごとく、です。
こういう朝が、少年の日にもあったっけ
よく見たものだった、と僕は思う
その時それを野原で見た
今は都会の屋根の上。
あの時と今と、時は隔たっているけれど
こことあそこと場所も違うけれど
はたはたはたはた、大空にひとり
今も変わらずはためいているよ。
この暗示的な黒い旗はなんなのでしょうか
不吉なものでしょうか
弔旗でしょうか
受け止め方によってそれは変わります。
最終連第3行に「ひとり」とあり
旗は、詩人その人の象徴的表現ではないか、と
解する読み方もできます。
曇天にずっと変わらずはためいている旗
僕はあの旗のようだ……。
1936年(昭和11年)は
中原中也29歳。
「改造」同年7月号に発表されました。
「中央公論」とならぶ総合雑誌「改造」。
その総合雑誌に
詩人が載せた初めての作品です。
記念すべき作品です。
*
曇天
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。
手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(をくが)に 舞ひ入る 如く。
かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。
かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
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