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2008年9月 1日 (月)

含羞はぢらい/死児等の亡霊

「在りし日の歌」は
「亡き児文也の霊に捧ぐ」と 詩集タイトルの裏ページに献辞が置かれ、
後記の書かれた日(1937年9月23日)の ほぼ1年前の
1936年11月10日に死んだ
長男文也への追悼詩集という 顔をももっています。

 

そのうえ
詩集の冒頭に置かれた
「含羞(はぢらひ)」という作品にも
「在りし日の歌」という 副題がつけられています。

 

このタイトル「在りし日の歌」への
詩人の並々ならぬこだわりを 感じないわけにはいきませんが
同時に
「含羞」を読むとき
この詩に出てくる 「死児等の亡霊」の「死児」が
文也のことと読み間違える理由が ここにあります。

 

「含羞」の制作は
1935年(昭和10年)11月と考証され
文也の死は 1936年11月ですから
この詩の中の「死」は
1935年11月以前のものなのです。

 

つまり 「含羞」は
文也の死より前に制作されています。

 

このことを知りながら 「含羞」を 読んでみますと……
「がんしゅう」という音読みではなく
「はじらい」と詩人が読ませたいのは
文語の詩であるからでしょう。

 

「はぢらひ」とルビがあるのは
歴史的仮名遣いのためです。

 

秋、 風が白くさやいでいる山かげの
椎の枯葉が積もる窪地に
幹々は、 とても大人っぽい感じで立ち並んでいる

 

幹が、すでに幼さを脱し、
一人前の成木のように大人びている
それを目にしている詩人の心は
含羞=はじらいに浸されているのですが
なぜなのだろう、と
その含羞の立ち上ってくる理由を
自らに質します。

 

椎の木の枝と枝が交叉するあたりに
なにやら悲しげな空気がただよい
空には、
死んだ子どもたちの亡霊がいっぱいいて
ピカピカ瞬(またた)いている

 

亡霊を幻視する眼差しは
さらにシュールな夢を見ます。

 

折も折、
向こうの野原の上は
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき
アストラカンの間を縫って
古代の象が のっしのっし歩いている夢のような光景 ……

 

しばらくして、
目を、 幹に戻すと また、
異なるイメージが見えてきます。

 

その日その幹の間にのぞいた睦まじい瞳
亡霊の児らの瞳はなごやかな光を帯び
とりわけ キミの瞳には、 姉らしい色が映っていた ……

 

あゝ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐをりをりは
ああ! 過ぎ去った日の、 いまはもう見ることもできない
ほのかだけれど、 鮮やかに燃えた時があった
わたしの心はなぜ 何故、 このように はじらうのだろう

 

 *
 含羞(はぢらひ)
  ――在りし日の歌――

 

なにゆゑに こゝろかくは羞(は)ぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳(た)ちゐたり

 

枝々の 拱(く)みあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙(ひま) 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ……

 

*あすとらかん astrakan(仏) ロシアのアストラハン地方で産する子羊の毛皮。また、それに似せて作られたビロード織。

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。
 *原文には、「あすとらかん」に傍点がつけられています。(編者)

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