「在りし日」について2/文也が死んだ日
中原中也の
第2詩集「在りし日の歌」は
多様な「在りし日」によって
読み方が撹乱されることがあります。
その撹乱とたたかうように
大岡昇平は
「在りし日」について考証し
繰り返し繰り返し
論評を書いています。
「生からの離脱」
「死」
「霊への呼びかけ」
「幽霊との対話」
「死者との交流」
「死の観念」
「在りし日の氾濫」
……など
大岡昇平の考証は
1966年の「在りし日の歌」(新潮1月号)をはじめ
1967年の「在りし日、幼かりし日」(群像10月号)でも
さらに深められます。
1969年の
「『在りし日の歌』解題」(「生と歌 中原中也その後」所収)では
簡略に
「在りし日の歌」とは通常「生前」を意味するが、中原は過去の意に用いている。未刊詩篇昭和三年一月二十五日付「ありし日、幼かりし日」、昭和七年ごろの「風雨」では幼時を意味している。
と、まとめています。
今、詩集「在りし日の歌」を
読み進めるにあたって
特に知っておいたほうがよいのは
「死」が登場したとき
それが、文也の死に関与しているか否か、です。
詩集全体の副題に
「亡き児文也の霊に捧ぐ」とあるからといって
この詩集中の作品が扱う「死」が
すべて文也の死ではないことに
気付かねばなりません。
冒頭の「含羞(はぢらい)」は
そのことを
教えてくれます。
文也の死は、1936年、昭和11年。
それ以前に「含羞」は作られましたし
ほかにも、文也の死以前に作られた作品があります。
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