修羅街挽歌 其の二/憤怒
「山羊の歌」中の「修羅街輓歌」は、 もう一つの作品があります。 未発表詩篇/草稿詩篇(1931-32)として 分類されているもので、 「修羅街挽歌 其の二」のタイトルがつけられています。 こちらは、「輓歌」ではなく 「挽歌」としています。 中也が力を注いでいた 同人誌「白痴群」の廃刊と、 それにともなう集団の崩壊……。 友人関係の崩壊、 という言い方は客観的に過ぎることを 思わせる作品に 驚かされます。 中也は、集団の中心にいた 当事者であり、 廃刊を客観的に捉えられる状況にはありませんでした。 わが友等みな、 我を去るや…… ここには、 悲痛な響きというより 憤怒が感じられます。 押さえに押さえても 立ち現れてくる憤り……。 Ⅱは、「ゴムマリの歌」と題し、 ゴムのマリそのものに 詩人を投影し、 悲しみと怒りを歌います。 Ⅲも、ゴムマリの歌ですが 完成作とみなさなかったのでしょうか Ⅳとともに、 未完成ゆえに 生の心が出ています。 ゴムマリを幼稚園にたとえて 幼稚園には色々な児童がいる、と、 又、 鼻ただれ、 眼はトラホーム、 涙する、童児もあらう と歌う、烈(はげ)しさには ただならぬものが感じられます。 結局は、この詩ではない 「修羅街輓歌」が関口隆克に献じられたのですが、 献じられた関口は、 「其の二」を読んでいないと思われるのに (ひょっとして読んでいたのかもしれません) 詩人の怒りをよく知っていたようであります。 * 修羅街挽歌 其の二 Ⅰ 友に与うる書 暁は、紫の色、 明け初めて わが友等みな、 我を去るや…… 否よ否、 暁は、紫の色に、 明け初めてわが友等みな、 一堂に、会するべしな。 弱き身の、 強がりや怯(おび)え、おぞましし 弱き身の、弱き心の 強がりは、猶(なお)おぞましけれど 恕(ゆる)せかし 弱き身の さるにても、心なよらか 弱き身の、心なよらか 折るることなし。 Ⅱ ゴムマリの歌 ゴムマリか、なさけない ゴムマリか、なさけない ゴムマリは、キャラメル食べて ゴムマリは、ギツダギダギダ ゴムマリは、ころべどころべど ゴムマリはゴムのマリなり ゴムマリを待つは不運か ゴムマリは、涙流すか ゴムマリは、ころんでいって、 ゴムマリは、天寿に至る ゴムマリは、天寿に至り ゴムマリは天寿のマリよ Ⅲ 強がつたこころといふものが、 それがゴムマリみたいなものだといふことは分かる ゴムマリといふものは 幼稚園ではある ゴムマリといふものが、 幼稚園であるとはいへ 幼稚園の中にも亦(また) 色んな童児があらう 金色の、虹の話や 蒼窮(そうきゅう)を歌ふ童児、 金色の虹の話や、 蒼窮を、語る童児、 又、鼻ただれ、眼はトラホーム、 涙する、童児もあらう いづれみな、人の姿ぞ いづれみな、人の心の、折々の姿であるぞ Ⅳ 僕が、妥協的だと思つては不可(いけ)ない 僕は、妥協する、わけではない 僕には、たくらみがないばかりだ 僕の心持は、どう変りやうもありはしない 僕の心持が、ときどきとばつちることはあつたが それは僕の友が、少々つれなかつたからでもあつた もちろん僕が、頑(かたく)なであつたには相違ないが、 それにしても、君等、少々冷淡であつた。 風の中から僕が抜け出て来た時 一寸(ちょっと)ばかり、唇(くち)が乾いてゐたとて 一寸ばかり、それをみてさへくれれば、 僕も猶和やかであつたろう でもまあいい、もうすんだこと これからは、僕も亦猶 ヒステリックになるまいゆゑに 君等 また はやぎめで顔見合わせて嬉しがらずに呉(く)れ。 (「中原中也全詩集」角川ソフィア文庫より)
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