元パンクの中也読み/町田康の中也論3
町田康は、さらに、つづける。
中也もダダイズムを
ずっとやりつづけるわけではないんですね。
パンクだ、破壊だと言いながら、
それをずっと続けるていると、
今度はパンクという定型になってしまう。
だから、次に行くための
通過点みたいなことだったと思います。
たとえばグラスを投げて
粉々に打ち砕いてしまったら、
そのグラスはもう二度と割ることはできない、
というのと同じです。
ダダイズムは中也にとっては
どうしても必要な通過点で、
そこを通過しないと、
のちの中原中也はうまれなかったんだろうな、
という気がします。
NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」
10月7日22時25分~50分放送。
通過というと
もう2度とそこへ戻ってはこない、
ということで、
町田康とパンクの関係は通過点であり、
中也とダダとの関係も通過点だった、
と捉えているようです。
中也には
晩年になってもダダが
思い出したかのように顔をもたげてくる作品がありますから、
通過というと、やや違う感じですけれど、
わかりやすい説明ですね。
短歌の定型を破壊するダダではありましたが
ダダを定型として意識し、
さよならっていうことではなかったようです。
ダダは、中也の、
一種の武器でありつづけました。
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