夜更の雨/ヴェルレーヌ
第3番の「夜更の雨」は、
ヴェルレーヌの「巷に雨の降る如く」が下敷になっている、
と、推測する解釈が流布しています。
中也は、勉強家ですし、
京都で、高橋新吉のダダイズムを知り、
富永太郎を、1924年(大正12年)に知って以来、
小林秀雄を、1925年、
河上徹太郎を、1927年、などと、
周辺に、トウダイフツブン(=東大仏文)の学生はもとより、
仏文の教官であった辰野隆らとの交友をも広め、
原語で
マラルメ、ランボー、ヴェルレーヌ、ボードレール……を読み、
いずれは、ランボーやネルバルらの翻訳をするほどの
先進的なポジションにありました。
2008年の今日、
堀口大学の訳で有名な、
巷に雨の降るごとく
われの心に涙ふる。
かくも心ににじみ入る
この悲しみは何やらん?
で、はじまる「巷に雨の降るごとく」は、
大正末から昭和初期、
当時の文学青年や仏文科の学生が
こぞって、
むさぼるように
読んだことを、
大岡昇平がいうまでもなく
多くの研究者が記しています。
中也もその一人でしたが、
中也の非凡さは、
その摂取というレベルで
ベルレーヌをすでに自分のものにしてしまっている、
という一点です。
憧れのヴェルレーヌではなく、
すでに、ヴェル氏、なのです。
初出は、昭和11年8月、「四季」初秋号ですが、
制作は、昭和4年ごろ。
(「中原中也必携」吉田凞生編、1979年、学燈社)
「朝の歌」(大正15年)より後の制作です。
ヴェルレーヌは、
ランボーとのホモセクシャルな交友などで知られる
放蕩詩人です。
中也が、
富永太郎や小林秀雄や河上徹太郎や辰野隆らから聞き知り、
自らも原書などを通じて知った
フランス象徴詩の世界に、
はじめて触れた時の感動は
いかがなものであったか、
狭苦しい日本文壇、詩壇を唾棄していた詩人の
目の輝きが思われます。
中原中也にとって、
フランスは
活路でした。
死ぬまで、活路でした。
雨は今夜も降っている
昔ながらに、降っている。
だらだらだらだら降っている
時雨の秋の宵。
ふと見ると、
倉庫の路地を駆けてゆくのは
ヴェルレーヌじゃないか
大きな図体の背中を見せて。
ビニール製の合羽が反射している
泥炭の山が雨に打たれている
その路地を抜け出れば……
抜けさえできれば
わずかな希望があるというもんさ
そうだろ
自動車なぞいらんぞ
明るい街灯なぞもいらんぞ
酒場の灯の
腐った目玉のような明かるい光よ
遠くのほうでは
舎密(せいみ)も 鳴つてる。
新式の化学がはばをきかしているよ
舎密は、
世にはびこる
新しがりやのジレッタントへの
諧謔か、憎悪か
ダダを抜け出し
文語定型を抜け出そうとする
格闘が
ヴェル氏の格闘と重なるかのようです。
*
夜更の雨
――ヱ゛ルレーヌの面影――
雨は 今宵も 昔 ながらに、
昔 ながらの 唄を うたつてる。
だらだら だらだら しつこい 程だ。
と、見るヱ゛ル氏の あの図体(づうたい)が、
倉庫の 間の 路次を ゆくのだ。
倉庫の 間にや 護謨合羽(かつぱ)の 反射(ひかり)だ。
それから 泥炭の しみたれた 巫戯(ふざ)けだ。
さてこの 路次を 抜けさへ したらば、
抜けさへ したらと ほのかな のぞみだ……
いやはや のぞみにや 相違も あるまい?
自動車 なんぞに 用事は ないぞ、
あかるい 外燈(ひ)なぞは なほの ことだ。
酒場の 軒燈(あかり)の 腐つた 眼玉よ、
遐(とほ)くの 方では 舎密(せいみ)も 鳴つてる。
*舎密 化学の旧称で、オランダ語のchemicの音に字を当てたもの。幕末から明治初期に用いた。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
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