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2008年10月14日 (火)

中原中也と小林秀雄/町田康の中也論4

小林秀雄は、昭和24年、それまでの沈黙を破って、
「中原中也の思い出」(文芸)を書きました。

 

中に、
鎌倉の妙本寺境内の海棠の花を見ながら、
小林と中也が会話した日のことがあります。

 

昭和12年(1937)の春、
夕暮れ時でした。
中也は、この年末に亡くなりましたから、
10年を経ての回想です。
海棠の花びらが先ほどから
しきりに落ちているのを
二人は黙って眺めていました。

 

小林の想念が描写されます。

 

「あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何という注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。(略)花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来なくなって来た。

 

その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。「お前は、相変わらずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをみせた。
(NHK教育テレビ「知るを楽しむ」「中原中也 口惜しき人」テキストより)

 

町田康は、第2回「恋人という他者」で、
以上の、小林秀雄の回想について、語ります。
小林秀雄は、なぜ、急に、自分の考えが厭になったのだろうか、について。

 

順序も速度も決めて、
花びらを散らす海棠の見事さを、
自分に見立てている自分に、
嫌気がさしたのだ、と読むのです。

 

やはりその考え方には無理がある、
無理筋だと気づいたからじゃないでしょうか。
と読むのです。

 

(この稿つづく)

 

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第2回 恋人という他者」
10月14日22時25分~50分放送。

 

 

 

 

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