名詞の扱ひに/中也のダダ1
佐々木幹郎編「中原中也詩集 在りし日の歌」
(角川文庫クラシックス)は、
「未発表詩篇」の中に
ダダの詩を1篇も
採りいれていないのは、
同書が、1935~1937年の作品を
扱っているからです。
「山羊の歌」は1920~1934年を扱い、
「未発表詩篇」には
いくつかを載せていますから、
ここで少しだけ
ダダ詩を見ておきます。
中也自身は
タイトルを付けていない状態の詩で、
草稿です。
大岡昇平らにはじまる研究は
草稿作品には
便宜上( )をつけて
詩の冒頭行を、仮のタイトルにする慣例です。
詩人が、ダダについて歌っている作品。
ダダイストが「棺」といへば
何時の時代でも「棺」として通る所に
ダダの永遠性がある
だがダダイストは、永遠性を望むが故にダダ詩を書きはせぬ
この4行は、
しばしば引き合いに出され、
中也のダダ観を示す言葉として
広まっています。
*
(名詞の扱ひに)
名詞の扱ひに
ロヂックを忘れた象徴さ
僕の詩は
宣言と作品の関係は
有機的抽象を無機的具象との関係だ
物質名詞を印象との関係だ
ダダ、つてんだよ
木馬、つてんだ
原始人のドモリ、でも好い
歴史は材料にはなるさ
だが問題にはならぬさ
此のダダイストには
古い作品の紹介者は
古代の棺はかういふ風だつた、なんて断り書きをする
棺の形が如何に変らうと
ダダイストが「棺」といへば
何時の時代でも「棺」として通る所に
ダダの永遠性がある
だがダダイストは、永遠性を望むが故にダダ詩を書きはせぬ
如何(いか)
佐々木幹郎編「中原中也詩集 山羊の歌」
「未発表詩篇」(角川文庫クラシックス)より
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