三歳の記憶/童話的な自然
「在りし日の歌」7番目の歌。
「三歳の記憶」について、もう少し。
小林秀雄が中原中也について
初めて沈黙を破って書いた
「中原中也の思ひ出」は、
昭和24年の「文芸」8月号で、
同じ号に、大岡昇平は
「中原中也伝―揺籃」を書いています。
大岡が、初めて世に問うた中也論です。
「文芸」編集者の意図が
なんとなく見えますが、
興味深いことに、
小林の「中原中也の思ひ出」にも、
大岡の「中原中也伝―揺籃」にも、
「三歳の記憶」への言及があります。
小林の「思ひ出」は、
2部構成で、
1は、中也との交流の回想、
あの、海棠の花見のときのことを中心に記したエッセイ、
2は、詩人中原中也論とか、作品論とか、という構成です。
この2の冒頭、
中原の心の中には、実に深い悲しみがあつて、それは彼自身の手にも余るものであつたと私は思つてゐる。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なづけるに足りなかつた。彼はそれを、「三つの時に見た、稚厠(おかは)の浅瀬を動く蛔虫(むし)」と言つてみたり、「十二の冬に見た港の汽笛の湯気」と言つてみたり、果ては、「ホラホラ、これが僕の骨だ」と突き付けてみたりしたが駄目だつた。
と、この作品に注目しました。
大岡昇平は、「揺籃」の中で、
この詩を、全文引用したうえで、
次のように、洞察を加えます。
人が三歳の記憶を残し得るかどうかは問題であろう。後の記憶が前の記憶を蔽うのはよくあることである。我々はまずこの詩に何ら「伝記的」価値をおき得ないのであるが、むろん重要なのはこの詩が記録として正しいかどうかということではなく、彼がここで組立てた画面が三十歳の彼の心であるということである。彼が自ら造った童話的な自然に酔い、「ひと泣き泣いてやつた」という無償の行為に喜びを見出そうとしていることである。(略)
小林秀雄と大岡昇平を並べて
比較しようとしているのではありません。
どちらもが、この「三歳の記憶」に
着目している、そのこと自体が、
この詩をおろそかに扱っていない、
ということを示していて面白い、興味深い、
というだけのことです。
小林は、
悲しみの深さ、という角度から
これを論じ、
大岡は、
30歳の詩人が書いた、という角度から、
これを論じています。
小林は、
詩人の悲しみに寄り添うように解釈し、
大岡は、
冷酷なほど、距離を置いて、
詩人の全体史の中で、解釈しようとしています。
大岡の、
「自ら造った童話的な自然」とは、
何でしょう。
「伝記的」価値を一切認めないから、
これは、童話的な自然だ、という断定は、
頑固過ぎはしまいか。
*
三歳の記憶
縁側に陽があたつてて、
樹脂(きやに)が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭(には)は、
土は枇杷(びは)いろ 蝿(はへ)が唸(な)く。
稚厠(おかは)の上に 抱へられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がつた。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びつくり)しちまつた。
あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、
それでわたしはひとしきり
ひと泣き泣いて やつたんだ。
あゝ、怖かつた怖かつた
――部屋の中は ひつそりしてゐて、
隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!
隣家は空に 舞ひ去つてゐた!
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。
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