老いたる者をして2/音楽集団スルヤ
彼の詩が単行本になったのは、「山羊の歌」に先立つこと2年、昭和7年の「世界音楽全集」27巻「日本歌曲集」に収録された、諸井三郎作曲「朝の歌」「臨終」 内海誓一郎作曲「帰郷」「失せし希望」だったことは、象徴的である。
と、大岡昇平は、
「新潮」(1956年5月号「思想」)に記しています。
中原中也の詩が、
雑誌などへの単発ではなく、
1冊の単行本になった最初は
「山羊の歌」ではなく、
諸井三郎や内海誓一郎が作曲した
「朝の歌」や「帰郷」などを集めた「日本歌曲集」だった
ということは、中也を知る一つの手がかりではありましょう。
乱暴な言い方かもしれませんが
詩人としてより
作詞家としてのデビューが早かった、
というわけですし、
詩が評価されることがなかったことを物語るものです。
この、日本歌曲集が昭和7年、1932年、発行なのですが、
この2年前である、
昭和5年(1930年)6月、
「白痴群」が廃刊しました。
詩人の本拠地が崩れたのです。
詩を思う存分発表できる場を失っただけではなく
その原因となったものによってか
廃刊したことによってか、
交友関係が崩れ、
中原中也は、弧絶するのです。
一人ぼっちになるのです。
*
老いたる者をして
――「空しき秋」第十二
老いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり
吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂を休むればなり
あゝ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて
東明(しののめ)の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな
或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上(へ)の風にまじりてとことはに過ぎゆく如く……
反歌
あゝ 吾等怯懦(けふだ)のために長き間、いとも長き間
徒(あだ)なることにかゝらひて、涕くことを忘れゐたりしよ、げに忘れゐたりしよ……
〔空しき秋二十数篇は散佚して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原作第5連第2行「はたなびく」に傍点があります。(編者)
« 老いたる者をして1/演奏された歌 | トップページ | 老いたる者をして3/23歳の孤独 »
「0001はじめての中原中也」カテゴリの記事
- <再読>時こそ今は……/彼女の時の時(2011.06.13)
- <再読>生ひ立ちの歌/雪で綴るマイ・ヒストリー(2011.06.12)
- <再読>雪の宵/ひとり酒(2011.06.11)
- <再読>修羅街輓歌/あばよ!外面(そとづら)だけの君たち(2011.06.10)
- <再読> 秋/黄色い蝶の行方(2011.06.09)
コメント