三歳の記憶/回虫の歌
「在りし日の歌」7番目の歌。
「在りし日」の意味が、
生前であり、
「過ぎ去りし日」であり、
少年時代であり、
幼年時代でもあった、とは
大岡昇平の読みです。
少年もの以前の
幼年ものがあり、
「三歳の記憶」はその一つです。
吉本隆明は、
思想家にして詩人でもありますが、
その吉本がどこかで、
「現代詩人が10人ぐらいで、
束(たば)になってかかってきても、
中原中也にはかなわない」と発言していますが、
この発言を思い出すたびに
「三歳の記憶」が浮かんできます。
この詩はすごい!
前代未聞です!
有史初です!
いかなる現代詩人もまねできない!
できるとしたら……
……
できるとしたら……
……
できるとしたら……
……
ダダです。
でも、これは、
ダダの作品ではありません。
深刻な幼児体験ですし、
世界認識の原体験ですし、
世の中の怖さの初体験ですし、
寂しさの
悲しさの
怖ろしさの
一人ぼっちの
孤独の
初めての経験です。
詩人は、
尻から下がった回虫を描写し
厠(かわや)の「浅瀬」で
それが動くのを見た、
そのことを歌うのです。
農業に人糞が使われていた時代。
寄生虫が珍しくはなかった時代。
水洗式トイレが普及していなかった時代。
それは、つい最近のことです。
リフレインが効いています。
あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、
と繰り返し
再び、
あゝ、怖かつた怖かつた
です。
最終行の
舞ひ去つてゐた!のリフレインが
怖かつた、のリフレインにこだまし、
いっそう効果的です。
一本調子の
日本モダニズム詩に
追随できない高みが
この作品にあります。
*
三歳の記憶
縁側に陽があたつてて、
樹脂(きやに)が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭(には)は、
土は枇杷(びは)いろ 蝿(はへ)が唸(な)く。
稚厠(おかは)の上に 抱へられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がつた。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びつくり)しちまつた。
あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、
それでわたしはひとしきり
ひと泣き泣いて やつたんだ。
あゝ、怖かつた怖かつた
――部屋の中は ひつそりしてゐて、
隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!
隣家は空に 舞ひ去つてゐた!
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)
*原文のルビは、( )内に表記しました。
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