芥川賞作家・町田康の中也読み/面倒くさい奴
青春時代には、
だれもみな、
中也に似た友人や知人を知るだろう。
極く親しい友人になったり、
遠くのほうから眺めているだけであったりもするが、
ある日、忽然と、消えてしまったりもする。
近くで付き合ってみると、
そいつに、自分の領域を侵されて、
逃げ出したくなったり、
追い返したくなったり、
しかし、いなくなってみると、
無性に懐かしい……。
中原中也は、そんじょそこらにはいないが、
似た人はいるものです。
中也の詩を読みながら、
その似た人が頭の中にあることに
驚くことがあります。
町田康にも、そんな友人や知人が
いるかもしれません。
いたかもしれません。
友人が、中也を去って行ったわけを、
解き明かす町田康の口ぶりは、
友人を語るかのように、
遠慮がありません。
町田康は、
結局、彼らは自分の身を守りたかったのではないでしょうか。中也からというよりも、中也の言っていることから身を守りたかったんですね。
では、中也は何を言っていたかというと、それは、芸術の世界に身を置く以上、真実とか美とかいったものに奉仕しなければならない、ということなんです。(略)
みんな食うためにものを書いたり何か作ったりしている。それはまだ正直なほうで、食うための仕事は別に持って、余技として芸術的なことをやっていたりする。そこのところを、中也は突いていくわけです。
言われたほうは迷惑なんですけど、正論だから何も言い返せない。すると、中也のほうは「あ、こいつまだわかってないのかな」と、もっと真剣に教えてあげたりする。そばに来られたら面倒くさい奴ですよ。
(以上、テキストからの引用。)
と、語ります。
ここです!
そばに来られたら面倒くさい奴ですよ。
と、ズバリ、
中也の相手になった側の気持ちを表明するところ。
中也を深く知らなければ
こうは言えません。
しかも、中也の相手になった、
いわば敵の気持ちも汲(く)んでいます
ここが、町田康ならではの、
遠慮なさ、デリカシー……非凡さ。
そして、
ここでほとんどの人が反論できないのは、
「中也の場合、驚くべきことに本当に、
純粋に真実と美に奉仕していた」からで、
「相手としてはつらい」し、
「だから、中也から離れていかざるを
えなかったんじゃないでしょうか」
と結論するところ、
完璧ですね。
また、パチパチパチです。
NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第3回 去りゆく友への告白」
10月21日22時25分~22時50分放送。
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