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2008年10月18日 (土)

中原中也と小林秀雄/町田康の中也論7

中原中也から去り、
自分のもとへ身を寄せた、という
大正14年の長谷川泰子事件について、
小林秀雄が初めて書くのは、
中也の没後10年を経た昭和24年、
「中原中也の思ひ出」です。

 

一方、中也は、
昭和3年か4年に
「我が生活」のタイトルで、
初めてこの事件について書きます。

 

中也は「詩的履歴書」や「日記」などにも、
思い出したようにこの件を記しますが、
まとまった文章としては
「我が生活」です。

 

「口惜しき人」は、
「我が生活」に中也自ら記した言葉で、
これを小林秀雄は引用しますが、
中也の生前ではなく、
中也死後10年を要した、ということになります。

 

東京の街に一人投げ出された中也は
しかし、
詩人としての出発と自負する作品「朝の歌」を書きます。
大正15年です。
昭和元年です。

 

「朝の歌」により、
暗闇を抜け出した、とする解釈は
大岡昇平が言い出したもので、
番組も、町田康も、
この解釈に沿っているようですが、
明確にしていませんので、
泰子事件は
中原、小林ともに、
亀裂を残したままに終わります。

 

番組テキストは、

 

小林は続けてこう記している。「私は辛かった。詩人を理解するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するという事は、何んと辛い想いだろう」
そして、小林と花見をした翌日の中也の日記には、こうある。「人間は、醜悪なものだ。然るに人々はさうは思つてをらぬ。/かくて人生は、愚劣なものだ。詩の世界より他に、どんなものも此の世にあるとは思はない」

 

と結び、二人の文学者の平行線を強調したままです。

 

このあたりの町田康の見解を
もう少し、聞きたいところでしたが、
前のほうで、「中也は泰子に去られたことで、詩人としての必須のものを手にしたんじゃないかと思います。」
と、言っていることから、
いくらかを推測できるかもしれません。

 

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第2回 恋人という他者」
10月14日22時25分~50分放送。

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