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2008年10月 6日 (月)

早春の風/浴衣の売出し

詩集「在りし日の歌」で
4番目にレイアウトされた「早春の風」は、
多くの一般読者に好かれ、
人気のある詩であり、
支持のされ方もさまざまで、
作品にまつわるエピソードも色々です。

 

初出は帝都大学新聞、昭和10年5月13日号。
現在の、東京大学新聞のことか?
作られたのは、昭和3年、1928年と推定されています。

 

安原喜弘へ宛てた中也の、
昭和7年3月7日付けのはがきに、

 

(略)この葉書をかきながら、窓外をみると、山のてっぺんの、樹と樹とのすき間をとおして雲の流れてゆくのがみえます。(煙は空に身を慌(すさ)び、日陰怡しく身を嫋ぶ)昔の歌。(略)

 

と、この詩の1節、第4連2、3行を書き付けています。

 

昭和3年に作り、
どこにも発表していない昭和7年に安原宛葉書で紹介し、
昭和10年に帝大新聞に掲載された、
という履歴をもつ詩というわけです。

 

この葉書でいう窓外とは、
中也が東京から山口へ帰郷する途次、
京都に住んでいた安原を訪ね、
その後、汽車で向かった
車中から見た広島あたりの景色のことであります。

 

「早春の風」が、
この、窓外の景色を歌ったものとはかぎりません。
この時、中也は昔作った歌を思い出して、
安原宛葉書に書き留めたのです。
金の風、銀の鈴……と、
思い出させるに充分な風景が、
この時、窓の外にあったのでしょう。

 

イメージだけでぐんぐん押してくる
透明な、童謡のような詩……。

 

けれども、そんなふうにばかりこの詩を
素朴に読んでいいものでしょうか

 

春の風を歌いつつ
終連

 

  青き女(をみな)の顎(あぎと)かと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……

 

にぶつかるとき、
この詩句が孕む
ドラマを感じないわけにはいきません

 

帝都大学新聞へ、この作品を送ったとき、学生が、
もう時季が早春ではないから何とか変えてくれ、と、
タイトルの変更を申し入れてきたことを、
詩人は、
「帝都大学新聞が詩を浴衣の売出しかなんかのように心得ているとはけしからん。文化の程度が低いのである」

 

と、掲載紙の切り抜きを貼った
スクラップブックに書き込んだことが、
「中原中也必携」に紹介されています。

 

このエピソードと関係するわけではありませんが、
この詩が、春という季節を
歌ったばかりのものではないのなら、

 

若い女性の顎(あご)かと思える
岡の樹の梢のとんがった形

 

とは、何を意味するのでしょうか。
立ち止まり、ひっかかり、
明瞭な答はすぐには出てきません。

 

金の風、銀の鈴……の
イメージばかりが
吹き抜けていきます

 

 *
早春の風

 

  けふ一日(ひとひ)また金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

 

  女王の冠さながらに
 卓(たく)の前には腰を掛け
かびろき窓にむかひます

 

  外吹く風は金の風
 大きい風には銀の鈴
けふ一日また金の風

 

  枯草の音のかなしくて
 煙は空に身をすさび
日影たのしく身を嫋(なよ)ぶ

 

  鳶色(とびいろ)の土かをるれば
 物干竿は空に往き
登る坂道なごめども

 

  青き女(をみな)の顎(あぎと)かと
 岡に梢のとげとげし
今日一日また金の風……

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

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