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2008年10月 4日 (土)

むなしさ/ダダ脱出

「在りし日の歌」集中2番目に置かれた「むなしさ」は
「山羊の歌」の中の
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
などとともに「横浜もの」と呼ばれます。

 

泰子が去った後、
中也は、しばしば、横浜に遊びました。
横浜は、母フクが少女時代を過した地でもあり、
遊興の地の娼婦館には、
なじみの女性もあったらしい。
「横浜もの」に出てくる女性は、
その娼婦のイメージを喚起させるものといわれています。

 

「むなしさ」が制作された
大正15年1926年とは、
昭和元年のことでもあります。
中也19歳。

 

京都時代に知った詩人・富永太郎が
前年大正14年11月に亡くなり、
長谷川泰子が小林秀雄のもとへと去ったのも
同年同月……。
この年、1925年大正14年は、
東京生活12年の、
はじまりにして、
詩人に孤立無援の試練を与えるのです。

 

ダダイズムからの脱出というテーマは、
この孤絶した詩人、
不羈の詩人、
まつろわぬ詩人の、
詩風上の問題ばかりでなく、
詩人を生きていく上で、
差し迫った課題になったのかもしれません。

 

富永太郎や小林秀雄らから啓発されて、
フランス象徴詩の研究に没頭し、
詩作の上でも
「むなしさ」のような、
もろにベルレーヌを題材とし、
象徴詩の影響を受けた作品が作られます。

 

「むなしさ」は、
これに加えて、
偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
などの詩句に見られる難解な漢語使いを
宮沢賢治に(富永太郎にも)学び、
文語定型詩の形を岩野泡鳴から取り入れる、などの、
ダダ脱出の試みが、
果敢に行われているのです。

 

 *
 むなしさ

 

臘祭(らふさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなち)も露(あら)は
 よすがなき われは戯女(たはれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とほ)き空 線条に鳴る
 海峡岸 冬の暁風

 

白薔薇(しろばら)の 造化の花瓣(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)ひ
 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりようけい)=聚接面(しゆうせつめん)そも
 胡弓の音 つづきてきこゆ

 

*臘祭 一二月に行われる祭。もとは古代中国の風俗で、猟の獲物を先祖の霊にささげる行事。
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』より)

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