芥川賞作家・町田康の中也読み/戦士
神に愛された詩人、
面倒くさい奴、
そして、最後に、町田康は、
止(とど)めを刺します。
それは
戦士・中原中也です。
「中原中也 口惜しき人」の最終回は
終わってしまいましたが
まだ、第3回の中での
芥川賞作家・町田康の発言で
記しておかなければならないこと、
それが
修羅街の戦士です。
町田康は、
中也は神に愛された詩人だったとさっき言いましたけれども、中也がそれで幸福だったかというと、ぜんぜんそうではなかった。神に愛されてるなんてことは現実の社会の中では通らない。証明もできない(略)……。
しかし、証明できないけれども、中也は議論という形で、そのことを一生懸命説明しようとしていたんではないでしょうか。(略) 説明しないと、自分というものの存在が保てなくなる。
だから、議論という形で必死に主張しつづけていたのではないか。戦うようにして訴えつづけていたのではないでしょうか。
(略)
安原は中也が夜の盛り場で喧嘩することを「市街戦」などと呼んでいたんですけれども、まさに、中也にとって、文学者との議論は芸術のための戦場だったわけですよね。
と、戦う中也像を、描き出すのです。
修羅街は、東京の街。
似非(えせ)芸術家のはびこる街。
対外意識にだけ生きる人々の元気な街。
修羅の中の無邪気な戦士・中也。
関口隆克に献呈された
「修羅街輓歌」は
はじめ、第一詩集のタイトルになるところでしたが、
「山羊の歌」にとって変えられたことは、
大岡昇平の中也評伝などで
明らかにされています。
詩集のタイトルが、
安原喜弘に献呈された「羊の歌」でもなく
「山羊の歌」であらねばならなかったのは、
羊の従順ではなく、
山羊の戦闘性を選んだから、
という詩人の意図が明らかになっています。
詩人のこの意志を
きわめて自然に、素直に読んだに違いのない
町田康の中原中也・戦士論は、
無闇に喧嘩ばかりしていたという
詩人のイメージを葬り去ります。
パチパチパチ……。
パチパチパチパチ。
パチパチパチパチ。
NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第3回 去りゆく友への告白」
10月21日22時25分~22時50分放送。
*
修羅街輓歌
関口隆克に
序歌
忌(いま)はしい憶(おも)ひ出よ、
去れ! そしてむかしの
憐みの感情と
ゆたかな心よ、
返つて来い!
今日は日曜日
縁側には陽が当る。
――もういつぺん母親に連れられて
祭の日には風船玉が買つてもらひたい、
空は青く、すべてのものはまぶしくかゞやかしかつた……
忌はしい憶ひ出よ、
去れ!
去れ去れ!
2 酔生
私の青春も過ぎた、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
私の青春も過ぎた。
ほんに前後もみないで生きて来た……
私はあむまり陽気にすぎた?
――無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、
対外意識にだけ生きる人々を。
――パラドクサルな人生よ。
いま茲(ここ)に傷つきはてて、
――この寒い明け方の鶏鳴よ!
おゝ、霜にしみらの鶏鳴よ……
3 独語
器の中の水が揺れないやうに、
器を持ち運ぶことは大切なのだ。
さうでさへあるならば
モーションは大きい程いい。
しかしさうするために、
もはや工夫(くふう)を凝らす余地もないなら……
心よ、
謙抑にして神恵を待てよ。
4
いといと淡き今日の日は
雨蕭々(せうせう)と降り洒(そそ)ぎ
水より淡(あは)き空気にて
林の香りすなりけり。
げに秋深き今日の日は
石の響きの如くなり。
思ひ出だにもあらぬがに
まして夢などあるべきか。
まことや我は石のごと
影の如くは生きてきぬ……
呼ばんとするに言葉なく
空の如くははてもなし。
それよかなしきわが心
いはれもなくて拳(こぶし)する
誰をか責むることかある?
せつなきことのかぎりなり。
*修羅 阿修羅。インド神話に登場する闘いの神。
*輓歌 人の死を悼み悲しむ歌。
*パラドクサル paradoxal(仏)逆説的な。奇妙な。
*しみらの ひっきりなしに続くこと。あるいは、凍りつくこと、沁みいること。
*謙抑 ひかえめにして自分を抑えること。
*蕭々 ものさびしく雨が降る様子。
*あらぬがに ないのだが
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『山羊の歌』」より)
*ローマ数字は、アラビア数字に変えてあります。(編者)
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