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2008年10月21日 (火)

三歳の記憶/共感と読み

20080719_034

 

 

 

「在りし日の歌」7番目の歌。
「三歳の記憶」について、さらに&さらに。

 

あまりに多様な解釈、
感じ方があるので、
もう一つ、
詩人・中村稔の解。

 

泣いたということと、「ひと泣き泣いて やったんだ」とは同じではない。この詩句には三歳の幼児の自己主張があり、この自己主張を懐かしく思いおこす詩人の現在の気持がこめられている。

 

そして詩人はこの自己主張の奥に、やはり失われた「生」、あるいは「あの時」を見ているのである。

 

そしてまた、「隣家は空に」の奇抜な表現には、幼児の眼が忠実に再現されているのであり、幼児の孤独と恐怖とを正確に表現しているのである。

 

「ひと泣き泣いて」に共感しないかぎり、おそらく読者が中原に共感することはできないであろう。
(「中也を読む 詩と鑑賞」青土社 2001年 より。これは、「中也のうた」1970年、社会思想社現代教養文庫の新装改訂版で、内容はほとんど同じですから、解釈は1970年のものと考えられます )

 

中村稔の頭には、
大岡昇平の「揺籃」があったであろう。
しかし、大岡昇平とは、
異なる読み方をしているのである。
というより、大岡の読みの冷たさを
批判しているかのようでもある。

 

それは、引用した文の、最終行、
「ひと泣き泣いて」に共感しないかぎり、おそらく読者が中原に共感することはできないであろう。
に、表れている。

 

大岡昇平は、「揺籃」において、
「三歳の記憶」という詩作品に
ちっとも共感していないのだし、
評伝を書く目的の冷徹さだけが際立っている。
中村の、共感云々は、
大岡の読者を牽制しているかのようであります。

 

 *
 三歳の記憶
縁側に陽があたつてて、
樹脂(きやに)が五彩に眠る時、
柿の木いつぽんある中庭(には)は、
土は枇杷(びは)いろ 蝿(はへ)が唸(な)く。

 

稚厠(おかは)の上に 抱へられてた、
すると尻から 蛔虫(むし)が下がつた。
その蛔虫が、稚厠の浅瀬で動くので
動くので、私は吃驚(びつくり)しちまつた。

 

あゝあ、ほんとに怖かつた
なんだか不思議に怖かつた、
それでわたしはひとしきり
ひと泣き泣いて やつたんだ。

 

あゝ、怖かつた怖かつた
――部屋の中は ひつそりしてゐて、
隣家(となり)は空に 舞ひ去つてゐた!
隣家は空に 舞ひ去つてゐた!

 

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

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