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2008年10月17日 (金)

中原中也と小林秀雄/町田康の中也論6

昭和12年春、鎌倉、妙本寺境内、
海棠の花の散るのを眺める
中原中也と小林秀雄。
二人は、
同じ花の散華を見ながら、
ついに同じ考えに至ることはなかった。

 

この花見の時のことを、
昭和24年、中也の没後10年、
「中原中也の思い出」に、
小林秀雄は記録し、
二人の様子を描写するのですが、
それを、芥川賞作家・町田康が、
読み直します。

 

この間の事情は、
大岡昇平の詳細な評伝があり、
(「友情」1956年4月号「新潮」など)
ほかの研究者による解釈や論評も
多様に存在しますが、
中也の「もういいよ」という言葉への
(これを記しているのは、小林秀雄です!)
町田康のコメントは、
具体的でわかりやすく、
一歩突っ込んでいます。

 

そこのところを、
番組テキストから引くと……。

 

第1点、

 

何に対して「もういいよ」と言ったかは書いていないのですけど、察したんじゃないでしょうか。相手の性格をよく知っているから、小林が理詰めで何か考えて、説明づけようとしているなというのが気配でわかった。それで、「やめとけ」と言ったのではないか。

 

第2点、

 

花を見ながら、小林は自分の頭の中の世界のほうに行っちゃっている。目の前にいる中也という相手は置き去りにされているんです。しかし、中也のほうは、そうではない。(略) まったく逆なんですね。だから、「もういいよ」と言ったのかもしれないですね。

 

第3点、

 

「お前はそうやって理屈のほうにスッと入っていって、いやになったら、スパッと切れるんだから、変なやっちゃのう」ということなのかもしれない。「俺なんか最初からずーっといやな気分を引きずってきているんだ」と。だから、「もういいよ」と言った可能性もありますよね。

 

以上、中原中也の「もういいよ」を
町田は3通りに解釈してみせてくれます。
そのポイントは、
中原中也、小林秀雄という
存在および文学が、
決定的に相容れなかった、
異なるものであった、という見方です。

 

(この稿つづく)

 

NHK教育テレビ「知るを楽しむ」
「中原中也 口惜しき人」「第2回 恋人という他者」
10月14日22時25分~50分放送。

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