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2008年11月23日 (日)

タイトルに「夏」のある詩について<11>

1937年5月14日に作られた二つの詩
「蛙声」と「初夏の夜に」。
「初夏の夜に」は、生前発表作品ですが、
「蛙声」は、「在りし日の歌」の掉尾(とうび)を飾っています。

「在りし日の歌」には、
「後記」が最も最後に置かれていますが、
詩作品としては「蛙声」が最後尾にあるのです。

第一詩集「山羊の歌」の
掉尾を飾る作品「いのちの声」に
詩人が与えたのと同じような役割が、
ここにも託されていることが
想像に難くはありません。

ですから、蛙(かえる)には、
詩人が擬(ぎ)せられている、と
解するのが、この詩を、
素直に鑑賞したということになるでしょう。

天蓋(てんがい)という言葉があります。
仏像などの頭上に懸垂された蓋を指し、
転じて、貴人の頭上を守る傘の意味のある仏教の言葉です。
中也は、その言葉を
連想させようとしているのか、わかりませんが、

また、抜山蓋世という四字熟語があります、
「史記」の、楚の項羽が漢の劉邦に包囲される中で、
虞美人と最後の酒を交わした時に歌った詩で有名ですが、
これを中也は念頭に入れているのか、わかりませんが、

天は地を蓋(おお)い、
その地には、たまたま池があり、
その池で今夜も蛙が鳴いている
あれは、何を鳴いている、
何を歌っているのだろう、と
蛙の歌の中身へと読者を誘い……
蛙すなわち詩人を登場させるのです。

ですから、第3連の、
よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶(なほ)、余りに乾いたものと感(おも)はれ、

この3行を、
中也詩の社会性……。
ほとんど省みられることのない社会的関心、
社会の動きへの眼差し……、
といったものへの表明であることを見失い、
だれも気づこうとしません。

「それにしても私は憎む
対外意識にだけ生きる人々を。」
(「修羅街挽歌」)などにより
中原中也という詩人は
いつのまにか、
政治嫌いのレッテルを貼られたまま定着し、
ああ、また、政治批判がはじまった、などと
この3行を、読みもしないで、
早合点する傾向が支配的です

詩人自身、
頭は重く、肩は凝るのだ。
と、相変わらず、真意を韜晦(とうかい)し、
政治的関心なんぞ、てんでありません、と
言っている振りをしていますから
読者はますます、真意から遠ざかります

これは目くらましです。
この目くらましに気づかねばなりません。

逆に言えば、
第3連のこの3行は、
中也の政治への発言、
と言ってもよいほどの詩句
と解するのが妥当です。

にもかかわらず、
「蛙声」全体には、
文也の死を悼む響きがにじみます。
そのようにも捉えることのできる
ダブル・ミーニング、トリプル・ミーニング。
そこに、この詩の卓抜さはあります。

「いのちの声」の有名なフレーズ、
ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於いて文句はないのだ。
の、そのものズバリ、モロ直球とは
異なった詩境がここに開かれました。
その卓抜さです。

最終連冒頭行の、
頭は重く、肩は凝るのだ。
は、実際、詩人を襲っていた
神経の病と繋がっているようで
作品の中の韜晦とは別次元の
リアルなものだったのかもしれないことを
付け加えておきます。

(この稿つづく)
 *
 蛙声
天は地を蓋(おほ)ひ、
そして、地には偶々(たまたま)池がある。
その池で今夜一と夜さ蛙は鳴く……
——あれは、何を鳴いてるのであらう?
その声は、空より来り、
空へと去るのであらう?
天は地を蓋(おほ)ひ、
そして蛙声は水面に走る。
よし此の地方(くに)が湿潤に過ぎるとしても、
疲れたる我等が心のためには、
柱は猶(なほ)、余りに乾いたものと感(おも)はれ、
頭は重く、肩は凝るのだ。
さて、それなのに夜が来れば蛙は鳴き、
その声は水面に走つて暗雲に迫る。

(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
 *原文のルビは、( )内に表記しました。

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