タイトルに「夏」のある詩について<14>
タイトルに「夏」の字がある作品で、
長男文也が死んだ
1936年11月10日以降の作品は、
二つあります。
1936年12月24日、クリスマス・イブの日に作られた
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」と、
1937年7月の作の「夏と悲運」です。
「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は、
文也の死の直後というより、
「49日」近くの時間が経過し、
ようやく、悲しみを「客体化」できるようになった詩人の
そうであるが故の、
深い悲しみの表れた作品です。
「夏と悲運」は、「千葉療養日誌」以後の
詩人自らの死の3か月前に作られました。
文也の死を含めての
詩人が辿ってきた境涯の悲運について歌われますが
ここでも、冷静を保とうとしている口ぶりに、
かえって、胸が塞(ふさ)がる思いがします。
二つの作品を、
繰り返し読み、同時に読んでみると、
詩人自ら「悲しみ呆け」と言った
二重三重の悲しみの中に
入り込むような感覚になります。
*
夏の夜の博覧会はかなしからずや
1
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよつと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲んで(しやがんで)ゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬ、かなしからずや
不忍ノ池(しのばずのいけ)の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや
2
その日博覧会入りしばかりの刻(とき)は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、
われも三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空はは、紺青(こんじやう)の色なりき
燈光は、貝釦(かひボタン)の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊や見てありぬ
(一九三六・一二・二四)
*
夏と悲運
とど、俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられない。
思へば小学校の頃からだ。
例へば夏休みも近づかうといふ暑い日に、
唱歌教室で先生が、オルガン弾いてアーエーイー、
すると俺としたことが、笑ひ出さずにやゐられなかつた。
格別、先生の口唇が、鼻腔が可笑しいといふのではない、
起立して、先生の後から歌ふ生徒等が、可笑しいといふのでもない、
それどころか俺は大体、此の世に笑ふべきものが存在(ある)とは思つてもゐなかつた。
それなのに、とど、笑ひ出さずにやゐられない、
すると先生は、俺を廊下に出して立たせるのだ。
俺は風のよく通る廊下で、淋しい思ひをしたもんだ。
俺としてからが、どう解釈のしやうもなかつた。
別に邪魔になる程に、大声で笑つたわけでもなかつたし、
然(しか)し先生がカンカンになつてゐることも事実だつたし、
先生自身何をそんなに怒るのか知つてゐぬことも事実だつたし、
俺としたつて意地やふざけで笑つたわけではなかつたのだ。
俺は廊下に立たされて、何がなし、「運命だ」と思ふのだつた。
大人となつた今日でさへ、さうした悲運はやみはせぬ。
夏の暑い日に、俺は庭先の樹の葉を見、蝉を聞く。
やがて俺は人生が、すつかり自然と游離してゐるやうに感じだす。
すると俺としたことが、もう何もする気も起らない。
格別俺は人生が、どうのかうのと云ふのではない。
理想派でも虚無派でもあるわけではとんとない。
孤高を以て任じてゐるなぞといふのでは尚更(なおさら)ない。
しかし俺としたことが、とど、笑ひ出さずにやゐられない。
どうしてそれがさうなのか、ほんとの話が、俺自身にも分らない。
しかしそれが結果する悲運ときたらだ、いやといふほど味はつてゐる。
(一九三七・七)
(角川文庫ソフィア文庫「中原中也全詩集」より)
(この稿つづく)
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