長男文也の死をめぐって<1>/また来ん春
中原中也が、長男文也の死を悼んで
歌った詩はいくつかありますが、
詩集「在りし日の歌」に、
その大半が取り上げられています。
(大半であるということは、残りの大半が存在するということでもありまして、その残りとは、未発表詩篇にあります。)
「在りし日の歌」は、
「亡き児文也の霊に捧ぐ」と、
副題を付せられているように、
詩集の、大きな目的みたいなものでしたから、
集中に文也追悼の詩がたくさんあって当然です。
色々な追悼詩があるのですが、
「また来ん春……」は、中でも、
文也その子が詩の中に実際に登場する作品だからか、
印象深く、人口に膾炙(かいしゃ)している作品です。
この詩は、
「文学界」の昭和12年(1937年)2月号に発表されたことから、
昭和11年(1936年)11月中旬から12月中旬に制作された
と、推定されています。
文也の死(昭和11年11月10日)から
「文学界」の原稿締切日の間に
作られたということがわかるわけです。
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
というフレーズは、
世の親ならば、我が子の子育てで
きっと同じような経験があるはずで、
そのことを思い出しつつ、
その子が死んでしまって、
もう、この世にはいない、という詩なのだ、
と、あらためて、詩に向かうと、
作者詩人の悲しみに触る思いになることでしょう。
我が子を失うことは、
そう多くの人が経験することではありませんが、
だれにも通じる、
普遍性のようなことがらを感じる詩です。
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
おさなごが、世界(鹿)を知って、驚いて、
食らいつくように凝視している
その眼差しは、いま、この世にないのです。
「来ん」は、「こん」と読みます。
カ行変格活用「こ・き・く・くる・くれ・こよ」の
未然形「こ」に
推量の助動詞「む」が
「ん」に変じて連なったものです。
*
また来ん春……
また来ん春と人は云ふ
しかし私は辛いのだ
春が来たつて何になろ
あの子が返つて来るぢやない
おもへば今年の五月には
おまへを抱いて動物園
象を見せても猫(にやあ)といひ
鳥を見せても猫(にやあ)だつた
最後に見せた鹿だけは
角によつぽど惹かれてか
何とも云はず 眺めてた
ほんにおまへもあの時は
此の世の光のたゞ中に
立つて眺めてゐたつけが……
(角川文庫クラシックス 佐々木幹郎編「中原中也詩集『在りし日の歌』」より)
* 原文のルビは、( )内に表記しました。
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